僕らは命に囲まれている
阿弥陀仏を中国語で意訳すると、「無量寿仏」になる。寿というのは命という意味で、「量りきれ無い命の仏」という意味である。阿弥陀仏のことを一番詳しく書いているお経を無量寿経と言う。
量りきれない、つまり限りがない、無限ということは、僕の命も、仏の命だということである。道元禅師の言葉「この生死は、即ち仏の御いのち也」
僕は、この自分の命が、仏の命だったと分かったとき、飛び上がるほど嬉しかったが、最近また嬉しいことに気づいた。「他の生き物」も仏の中に生きているということに気づいた。
最近、僕は飼い猫と一緒に暮らすようになった。前は別々の部屋に暮らしていたけれど、引っ越してきた。無量寿経には、浄土へ往生できるのは「十方衆生」としか書かれていないが、平等覚経という別訳では、「蠕動の類」も往生できると書かれてある。蠕動の類とはみみずのような生き物のこと。だから僕は最近、飼い猫に念仏を聞かせてやっている。一緒に浄土に行けたらいい。
散歩をする。鳥の鳴き声が聞こえる。雑草を踏む。花が見える。おばあちゃんとすれ違う。神社に神様がいる。みんなみんな、仏の命のなかに住んでいる。それがとても嬉しい。
量りきれない、つまり限りがない、無限ということは、僕の命も、仏の命だということである。道元禅師の言葉「この生死は、即ち仏の御いのち也」
僕は、この自分の命が、仏の命だったと分かったとき、飛び上がるほど嬉しかったが、最近また嬉しいことに気づいた。「他の生き物」も仏の中に生きているということに気づいた。
最近、僕は飼い猫と一緒に暮らすようになった。前は別々の部屋に暮らしていたけれど、引っ越してきた。無量寿経には、浄土へ往生できるのは「十方衆生」としか書かれていないが、平等覚経という別訳では、「蠕動の類」も往生できると書かれてある。蠕動の類とはみみずのような生き物のこと。だから僕は最近、飼い猫に念仏を聞かせてやっている。一緒に浄土に行けたらいい。
散歩をする。鳥の鳴き声が聞こえる。雑草を踏む。花が見える。おばあちゃんとすれ違う。神社に神様がいる。みんなみんな、仏の命のなかに住んでいる。それがとても嬉しい。
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