ミゲル・デ・ウナムーノを読んで | 人生入門

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哲学書読書計画
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丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
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ミゲル・デ・ウナムーノを読んで

 ミゲル・デ・ウナムーノという、スペインの思想家の本を読んでいる。キルケゴールやパスカルのように、人生の本質を考え抜いている本物の思想家という感じがする。冗長で長ったらしく、同じことを何度も繰り返し書いているので読んでてうざったく感じることもあるが、それは、「全か無か」というただ一点の問いをめぐって思索している証拠だと思う。不滅の魂がなければ、人生は畢竟、無である。不滅の魂が存在するならば、人生は畢竟、全である。これを繰り返し言っている。僕もその通りだと思う。キリスト教の細かい話は読むのが少し面倒だけど、パスカルのパンセが好きな人なら、ぜひ読んだらいいと思う。意志、理性、生などがキーワード。僕もまだ200ページぐらいしか読んでいないが、3回は読むと思う。いい本だ。
 以下は要約でも感想でもなく、本を読んで考えたことを書く。

 まず面白いと思ったのが、この人は、「不滅への渇望」を、全ての人間の思考原理、行動原理においているところ。例えば、カントは純粋理性批判で神の概念を批判したが、実践理性批判で、魂の不滅と神の存在を要請した。これは人間カントが、不滅への渇望を持っていることに他ならない。スピノザは、コナトゥスという概念からも分かるように、狂おしいまでに不滅の魂を求めていたが、それを挫折せざるを得なかった。ニーチェも不滅への敗北者であり、永劫回帰という数奇な発想で不滅を復活させようとした。ニーチェにとって、「哲学」が「力への意志」であったのと同じ意味で、ウナムーノにとって、「哲学」は「不滅への渇望」である。
 ウナムーノにとって、人間はみな、「不滅への渇望」を持っている。それが現れているのが名声欲と、生殖欲である。自分の名声が後世へ残ることによって、自分は永遠化される。それが虚栄心の本質だという。僕はこの議論を読んで、古代中国人の暗殺者たちを思い出した。自分に何のメリットもないのに、暗殺をすることで、歴史に名を刻む。自分の命よりも、歴史に名が刻まれる方を優先する。有名なのが、荊軻という人らしい。司馬遷は、わざわざ暗殺者用の章をたてて、史記の一部をさいている。名を永遠化するために、人を殺す。荊軻という名前は、今も生きている。
 生殖は、言わなくても分かると思うけれど、自分の延長を作る行為だ。自分の子孫が永遠に繁栄するというファンタジーに、自己の永遠化を見る。
 ウナムーノはこの2つを挙げていたけれど、もっとあると思う。この2つ永遠化はプラトンの饗宴で述べられていたので、そこから着想を得たのかもしれない。
 全てが「不滅への渇望」と言えるかもしれない。食べ物を食べることは、自己を存続させること。セックスをするのは、自己の延長を作ること。金を稼ぐのは…。

 人間には、動物には存在しない「自我」というものがある。社会学者の真木悠介は、自我とは、クジャクの羽のように、進化の暴走によってできたものかもしれないと言っていたが、僕もそんな気がする。人間は、遺伝子に適応的な行為だけではなくて、「個体」を中心とした行為もすることができる。だから、遺伝子を後世に残すためにはなんの必要もない「自殺」という行為もすることがある。その裏返しに、遺伝子ではなく、この「個体」を永遠化しようという欲望も生まれる。
 「遺伝子」が、効率よく複製される適応的な行為は、動物的な行為といえる。その反対に、「個体」の行為を何よりも尊重させるのは、人間的な行為といえる。その意味で、「自殺(遺伝子の無化)」と「信仰(個人の不滅化)」は、極めて人間的な行為であるとともに、人間の尊厳であるのだと思う。自殺する権利と、信仰する権利が、動物と人間の一番大きな差異という気がする。
 
 虚栄心も性欲も「不滅への渇望」という主張は面白い。けれども本当の意味で個人を不滅化させるのは、信仰しかありえない。個人を不滅化させない限り、この世は夢と同じ程度の実在性を持ちえないのだとしたら、人間的に生きるには、信仰をせざるを得ないだろう。
 

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