アスペルガー コトバ 自己分析
今は亡くなってしまった友達に、昔「なんでもかんでも正直に言うことが正義だと思ってるのかもしれないけれど、それで傷つく人がいる限り、嘘を吐くことも大事なんだよ」と言われたことがある。嘘も方便。本音と建て前。
自閉症スペクトラム障害の人は、他人の気持ちを想像することが苦手だとよく言われる。自分の経験からしても、それは間違いではないんだけれど、僕は「コトバ」に絶対性を求めすぎるのが自分の症状の一番の問題じゃないかと思う。「有言実行」、もしくは「無言実行」しか、僕の言葉に対する潔癖さをかいくぐるものはない。だから、僕が、「表現者」を下品すぎると感じるのも、「表現されているものの綺麗さ」と「表現するときの醜い動機」がミスマッチだからである。例えば、agohigeazarashiが「生きているのは虚しい」と歌う。僕はそういう歌を聞くと、「いや…本当にそう思っているなら一人で死ぬのがスジだろ、共感煽って教祖ぶって金儲けしてんじゃねえ」と反発してしまう。相手の「コトバ」が全てなので、相手の気持ちを捨象してしまう。
自閉症スペクトラム障害あるあるに「なんで怒られてるのか分からない」というのがあるが、コトバの論理で言えば、僕らは怒られなくていいのだと思う。コトバの向こうの相手の感情が分かってない。
僕は昔からコトバが嫌いだと言っている。コトバは嘘をつく道具だと再三再四言っている。それはコトバを「厳密」に捉えすぎる病気の特性なのだと思う。コトバを真っ正直にとらえてしまうので、その裏にある相手の心とコトバの齟齬が気になって仕方なくなる。普通の人は、コトバを「そういうもん」だと思っているので、そういう齟齬は気にならないのだと思う。哲学をするときにはコトバの厳密性というのは大事だと思うけれど。
僕にとってコトバは絶対なので、嘘をつく人や約束を破る人は存在がありえてはならないと思ってしまう。けれども人間は嘘をつくので(僕も嘘をつく)、最終的に、嘘をつかない仏の言葉、「南無阿弥陀仏」に至るしかなかった。
人間は、真っ正直に生きるようにはできていない。誤魔化し、誤魔化し、生きていこう
自閉症スペクトラム障害の人は、他人の気持ちを想像することが苦手だとよく言われる。自分の経験からしても、それは間違いではないんだけれど、僕は「コトバ」に絶対性を求めすぎるのが自分の症状の一番の問題じゃないかと思う。「有言実行」、もしくは「無言実行」しか、僕の言葉に対する潔癖さをかいくぐるものはない。だから、僕が、「表現者」を下品すぎると感じるのも、「表現されているものの綺麗さ」と「表現するときの醜い動機」がミスマッチだからである。例えば、agohigeazarashiが「生きているのは虚しい」と歌う。僕はそういう歌を聞くと、「いや…本当にそう思っているなら一人で死ぬのがスジだろ、共感煽って教祖ぶって金儲けしてんじゃねえ」と反発してしまう。相手の「コトバ」が全てなので、相手の気持ちを捨象してしまう。
自閉症スペクトラム障害あるあるに「なんで怒られてるのか分からない」というのがあるが、コトバの論理で言えば、僕らは怒られなくていいのだと思う。コトバの向こうの相手の感情が分かってない。
僕は昔からコトバが嫌いだと言っている。コトバは嘘をつく道具だと再三再四言っている。それはコトバを「厳密」に捉えすぎる病気の特性なのだと思う。コトバを真っ正直にとらえてしまうので、その裏にある相手の心とコトバの齟齬が気になって仕方なくなる。普通の人は、コトバを「そういうもん」だと思っているので、そういう齟齬は気にならないのだと思う。哲学をするときにはコトバの厳密性というのは大事だと思うけれど。
僕にとってコトバは絶対なので、嘘をつく人や約束を破る人は存在がありえてはならないと思ってしまう。けれども人間は嘘をつくので(僕も嘘をつく)、最終的に、嘘をつかない仏の言葉、「南無阿弥陀仏」に至るしかなかった。
人間は、真っ正直に生きるようにはできていない。誤魔化し、誤魔化し、生きていこう
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