不幸 そのまま | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

不幸 そのまま

 僕は、フロイトは非科学的だから、あんまり好きではないんだが、「超自我」という概念は最近かなり気に入っている。父親が、幼い子供に、あれしろこれしろ、あれはだめこれはだめ、と「教育」して、それが子供の「心」の一部になる。「心」の中に、常に「〜すべき」「〜はすべきではない」という社会的規範、道徳規範が居座ることになる。子供は親に反抗するすべがないので、必然的に、自分の心に「親」を飼うことになる。
 僕は、父親に「俺は資本主義社会に生まれたから、いっぱい稼いでいっぱい贅沢したい」と言われたことがある。もしかしたら、僕の中にもそういう「超自我」が巣くっているのかもしれない。金持ちになるべき、人に影響を与えるべき、人に迷惑をかけてはいけない。
 
 フロイトと対照的に、認知療法は科学的なエビデンスがあるので好きなんだけれど、認知療法ではよく「べき思考」を捨てろと教える。〜すべきという命令と、その命令に従っていない自分がいるとすれば、それが不幸の意識になる。金を儲けるべき、「だけど」僕はお金を持っていない。あの人のようになるべき、「だけど」私は無能だ。
 内面化した社会、超自我が常に「べき」を押し付けてくる。どうすればいい?自分の状態を変えるか、自分の中にいる「親」「社会」を変えるしかない。

 日本人は「あるがまま」が好きだとよく聞く。それは禅から来ているものだと思う。僕の好きな、ティクナットハンの言葉。
 
私たちは「いまここ」にある幸せを見ずに、幸せが未来にあると信じているため、いつも走ることが習慣になっています。

走らないで止まってごらんなさい。
今のあなたは、そのままで素晴らしいのです。
他の人になろうとしないで下さい。あなたが探しているものは、すでにあなたの中にあります。

 「ホッ」としないだろうか?僕はホッとする。言葉を読んで、「そのまま」を感じてもいいけれど、やっぱり一番は坐禅や瞑想だと思う。澤木興道によれば、坐禅は「自己ぎりの自己」になる行為(非行為?)だ。
 あとは、南無阿弥陀仏。「そのままのお前で救う」「そのままのお前を照らす」これも、救いにならないだろうか。

 「あるがまま」は、平安末期の仏教のように、安易な現状肯定に陥って、堕落する可能性もある。けれども、ちょっと疲れた人間は、「そのまんま」に休んでもいいんじゃなかろうか。
 「そのまんまでいい」というのはとんでもない福音(グッドニュース)じゃなかろうか

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