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人生入門

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アフォリズム体解
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小説 結構頻繁に更新します
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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
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われわれはだれでも世界と一緒に生まれ、世界と一緒に死ぬ。めいめい持っている世界はちがうのじゃから。——————澤木興道

 一人一つの宇宙を持っている。一人、というのも正確ではない。生命あるもの全て、ミミズ、オケラ、アメンボ、木、もしくは国土。草木国土悉皆成仏。普通の言葉で言えば「こころ」バークリー流にいえば「精神」唯識仏教風に言えば「阿頼耶識」、これらの心的なものは、端的に宇宙である。
 あなたが死ねば、世界はなくなる。あなたが生まれたから、世界が生まれた。ショーペンハウアーは、「世界」が生まれたのは、客観的物質世界に「眼」を持った生物が生まれたときだと考えた。「主観」がなければ「宇宙」は存在しないからだ。

 ネット上で嫌いな奴がいるんだけれど、そいつが僕に「誰かと全く同じ景色を見たい。そのために生きて、音楽をしている」と言っていた。その時に僕は「同床異夢って言葉知ってる?仏教の言葉なんだけどね、同じベッドに入ってても同じ夢は見れないって意味だよ」と言ったんだけれど、相手は全く理解していなかった。例え、同じ場所、同じ時間に富士山を見たとしても、その時の体調、富士山に対する知識、気分、などの要因で、同じ富士山を見るのは不可能だ。同じベッドに寝ていても、違う夢を見ている。

 人生は一つの夢である、と考えよう。夢と夢は通約不可能である。形と音が比べられないように、僕の夢とあなたの夢は比べられない。あなたの景色を僕が見ることは端的に不可能だ。

 人生は一つの小説である、と考えてもいい。それらは独立した本であって、比較することはナンセンスだ。だって、僕は僕の小説しか知らないのだから、他人の小説と僕の小説を比較することは不可能だ。もし、神のごとき「読者」が存在していて、「この小説はつまらない」「あの小説は面白い」と判定することができるならば話は別だが、その存在を僕らが知る由はない。僕らは徹頭徹尾、自分の小説の内にしか存在できない。「比較」する「権利」があるのは、小説の中のキャラクターである僕たちではない。比較する権利があるのは、各々の小説を読む、神だけである。

 「僕の小説」の登場人物に「あなた」が出てくる可能性があるけれど、それは「あなた」であって、「あなたの小説」が出てくるわけではない。「僕の小説」の中で「僕」と「あなた」を比較することは可能だけれど、それは「僕の小説」と「あなたの小説」を比べることとは全く違う。

 人間は、世界を持って生まれる。夢の中で生きている。誰も比較することなんかできない。僕はあなたではない。僕は、僕だ。

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