反出生主義 | 人生入門

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反出生主義

 今日Twitterで、男子高校生の反出生主義者を見た。悲しかった。その子によると両親は「無知」によりその子を産んだらしい。のちのちは、人類は滅亡したほうがいいと言っていた。
 僕は、反出生主義については、共感も覚える部分もあるし、受け付けない部分もある。「どうせ死ぬのになぜ産むのか」というのは常々考える。昔、一度、両親と喧嘩したときに、「なんで僕のこと産んだの?」と聞いたら「欲しかったから」「本能」と答えられて、やるせない気持ちになったのを覚えている。当時、僕はうつ病だった。「なぜこんな苦しい世界に産まれたのか?」という切実な疑問に「親の本能」という即物的な回答が返ってきて、苦しかった。今年の3月には、姉に、子供ができるらしい。その報告を聞いたときも、「結局死ぬのになぜ産むんだろう」と思った。母親が死んだときに、「人って死んだらどこに行くと思う?」と姉に質問すると、「分からない」と言っていた。

 反出生主義の一番の論点は、「産まれてくる子供の同意がない」という部分である。芥川龍之介の河童という短編小説には、産道から、子宮にいる赤ちゃん河童に、産まれたいかどうか尋ねて、OKという返事があったら産むという世界が描かれている。反出生主義者も、現実世界が、こうなっていれば出生に納得できていたのだと思う。「産まれてくる子供の同意がないのに、なぜ親は産む権利があるのか?」反論者は、これに回答しなければならない。

 産まれてきた子供が、「生まれてきてよかった」と感じることもあるだろうから、という反論は成り立たない。その逆の可能性もあるからである。そんな博打を「同意抜き」で「他人」に行うのは、非倫理的である。

 僕は哲学者ではないので精緻な反論はできないけれど、僕がこの反出生主義者に反論するならば、完全な「生命賛歌」を行う。それしか思い浮かばない。無条件な生命の尊さ。学校では「生命は尊い」と教わるけれど、実感として、それが分からない人が、反出生主義者になるのだと思う。
 反出生主義者が、「なぜ生命は無条件に尊いのか?」と問うならば、僕は「それは仏の命だから」と答える。ほかにも生命礼賛の方法、例えばベルクソンの生の哲学とか、ニーチェの力への意志とか、他に答える方法はあると思うけれど、僕はこれが一番しっくりくる。これは道元禅師の言葉である。「この生死はすなわち仏の御いのちなり」。この人生は、自分の「いのち」ではないんだ、仏に包まれたいのち、いや、仏のいのちそのものなんだなと実感できたとき、「無条件で生命は尊い」という主張が(その人にとって)可能になる。この生死はすなわち仏の御いのちなり、至言だ。この「いのち」は、もっともっと大きな「いのち」の一部なんだ…。

 僕は法蔵菩薩の物語を信じている。だから阿弥陀さんというでっかい命の中で生きていることを実感できる。反出生主義者は「そんなものは夢物語だ。迷信だ。」となじるだろう。それはそれでいい。
 僕は、反出生主義というのは、20世紀に生まれた「唯物論」、つまり「死ねば骨になっておしまい」というドグマの上でしか成り立たないと思う。「死ねばみんな仏になる」という前提ならば、子供を産むことは明らかに「善」だろう。僕の「全てのいのちは仏のいのちであるから無条件に尊い。」という主張は、反出生主義者にとって受け入れがたい。ただ、僕は、この主張をすることによって、相手の前提、「死ねばみんな骨になっておしまい」というのが無根拠な信仰であることを示したい。自分の前提に、疑問を持ってほしい。できれば、ニヒリズムという不幸な宗教をやめてほしい。

仏教というものは「ああ人間に生まれてきてよかった」ということを教えるものである。—————澤木興道

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