カルト宗教
特定の対象を熱狂的に崇拝したり礼賛したりすること。また、その集団。異端的宗教。
言うまでもなく、社会はカルト宗教である。金、権力、モテ、容姿、学歴を「無批判」に「熱狂的」に礼賛するカルト宗教である。ホリエモンの新書に「全ての教育は洗脳である」というタイトルの本があったが、全面的に賛成する。山下良道という仏教3.0を提唱しているお坊さんがいるのだけれど、その人は高校生ぐらいで社会の宗教性に気づき、自己の実存とその宗教との乖離を感じて、仏教の道へ入ったらしい。
今日、新興宗教を脱退した人のYouTubeで、レリジャスハラスメントという言葉を知ったんだけれど、僕はこのレリジャスハラスメントを受けているんじゃないかと思った。勤勉で優秀な人に価値がある、モテる男に価値がある、イケメンに価値がある、高学歴に価値がある、死ぬまで楽しく生きよう、そういう教義を押し付けてくる人間が多すぎる。みんな、生まれつき洗礼を受けているので、「無批判」にそれが正しいと思っているのが怖い。
けれど、このカルト宗教には決定的な弱点がある。それは「救い」がないということ。いくら金を稼いでも人間は死ぬ。キルケゴール風にいうと「絶望を意識しないという絶望」を生きている。脱出する方法を考える。
別の宗教に改宗するのが一番手っ取り早い。けれどもこのカルト宗教の中にいる間は、自分が正しいと思っているので、なかなか改宗できない。2つ道があると思う。それはこのカルト宗教の中で徹底的に成功すること、もしくは失敗すること。OSHOという宗教家の本に、社会で成功した人が宗教を求めることが多いと書いてあった。成功しても満たされないものがあるから、別の宗教に改宗するんだろう。それが一つの道。あとは僕みたいに徹底的に失敗すること。
別の土地に住むことも、一つの道だと思う。短期間でもいいから、別の宗教=社会の営みに参加することで、自分の宗教と相対化することができると思う。僕はやったことがないけれど。
「死」を瞑想すること。これはハイデガーっぽい主張だけれど、死を想うことで、非本来的で頽落している状態=大衆性の状態から、本来的な実存を回復することができる。「どうせ死ぬのになぜ生きているのか?」という問いを発する人間は、自然と、既存の、出口のない、答えのないカルト宗教から距離をとるだろう。
好きだよコブタちゃん
でもねあなたたちの方がカルトだってことに早く気づきなよ
そうしないと
かわいそうだけどあなた一生
救われないよ―――-高速回線は光うさぎの夢を見るか?
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