自是他非 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

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再来年中に読むもの
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自是他非

 一神教は戦争をする。なぜなら「自是他非」の教えだから。自分が正しくて、相手が間違いだという思想が根本にある。
 仏教はこの「自是他非」、つまりエゴを超える教えだ、と一言でまとめても良い。キリスト教と浄土真宗は比較されることが多いが、この「自是他非」があるかどうかが決定的な分かれ目だと思う。
 キリスト教は異教徒を殺す。それは相手が間違えているから。阿弥陀仏という一つの仏を信仰するという一神教的な宗教になった浄土真宗だけれど、根っこの部分に「無我」だとか「空」の思想があるので、異教徒を殺せ、異教徒は地獄行き、とはならない。できるだけ「自是他非」を回避しようとしているように見える。じゃあ自分と違う宗教の人をどう見るかというと、「宿善が到来していない」という。阿弥陀仏に会えるかどうかは、前世の業で決まる。それが足りてないと考えるけれど、いつかはみんな浄土へ行く。

 そもそも浄土真宗は、何かを「信じる」宗教ではない。疑いがなくなる宗教である。疑いがなくなって、「南無阿弥陀仏(お前を救う)」という言葉だけが、残る。南無阿弥陀仏にはからいがなくなる。「南無阿弥陀仏」に疑いがないだけなので、他者からなんと言われようと、何も信じていないので、揺らぐことはない。逆に相手に「信じろ」と迫ることもない。ただ「疑いがなくなってほしい」と思うだけである。

 神は実体的で、仏は無我である。「我」がある神がいると、「自是他非」になるのだと思う。無我は、自他の区別をなくすところに眼目がある。阿弥陀仏に自他の区別はない。

 他宗教の人をどのように見るかは難しい問題だと思う。キリスト教原理主義の人は、異教徒は地獄行きだという。僕はこれはひどいと思う。
 個人的には、浄土真宗の教義に従って、みんなが宿善到来するように見守るか、それともラーマクリシュナの万教同根説のように、全ての神や仏というのは唯一の絶対者の顕現と見るか。
まあなんにせよ、僕はどのような宗教を持っていても、無宗教でも、いつかはみんな救われるのだと思う。法蔵菩薩が全ての衆生を救うという誓いをたてて、その願はすでに成就されて、阿弥陀仏になっているから。

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