ジョージ・バークリー | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
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再来年中に読むもの
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ジョージ・バークリー

 僕はバークリーが好きだ。ジョンロック、ジョージバークリー、デイヴィッドヒュームの経験論三銃士と言われている中で一番影が薄いけれど、僕はバークリーが一番好きだ。ロックのように優れた政治哲学書も優れた科学論もないし、ヒュームのように現代まで通ずるような懐疑主義もないけれど、「すべては観念、だって知覚できないものは存在しないのと同じでしょ?」と言ってのけるそれを言っちゃおしめえよ感のあるバークリーと、後半の信心深い繊細なクリスチャンとしてのバークリーがミスマッチで、読んでて面白い、感動的ですらある。

 バークリーの論旨は至って明解で、「知覚と存在は切り離せない」「精神と観念の外部には何もない」の2つに尽きる。

@知覚と存在は切り離せない。誰にも見られていないのに、存在しているもの(例えばあなたの家のトイレとか)を想像することができるだろうか?僕たちが想像している時点で、その事物は知覚されている。知覚と存在を頭の中で切り離すことができるだろうか?僕たちの「知覚」なしの存在は、考えられるだろうか?そんなものはない。思考実験してみてほしい。
 
A精神と観念の外部には何もない。花が見えるとしよう。その花は「自分にとって見えている花(観念)」である。その「自分にとって見えている花(観念)」の「外側」に、その観念の原因である「花に類似した物質」のようなものは考えられるだろうか?バークリーは否と言う。その花の観念の基盤になっているような物質を「考えよう」としても、それは「考えられたもの」なので、観念である。もしそれが知覚できないような存在ならば、知覚と存在は切り離せないのでそんなものは存在しない。観念の原因は、物質ではなくて精神である。

 「知覚しているものしか存在していると言えない」というテーゼは論駁するのが難しい。唯物論者が石を蹴って、「これでバークリーを論駁した!」と言ったという逸話があるが、その石もその唯物論者の観念でしかない。

 僕がバークリーの一番好きなところは、神の存在証明の部分である。バークリーによると、世界には精神と観念しか存在しない。人間は想像によって観念を作ることができるが、この世界にあるおびただしい観念、例えば車や星や猫などは、誰の精神の観念なのだろう。バークリーは一言でいう。「神の精神の観念である」と。世界は神の精神の観念である。

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