布団
哲学者になる素質の一つに「不眠症」というのがあると思う。僕は昔からずっと寝つきが悪い。普段、学校や仕事という日常生活を生きている中で、「宇宙」とか「死」とか「人生」とかについて考えることはないだろうけれど、布団の中という空間では、普段は外部のものに向けられている雑多な視線が内面に向けられて、みんな哲学者になる。「子供の頃に死ぬのが急に怖くなった」というエピソードを読むことがあるが、それはほぼ100%布団の中での出来事だ。寝つきの悪い子供ほど、哲学者の素質がある。
僕は保育園の時の記憶がいくつかあるんだけれど、その中に布団の中の記憶もある。布団の中心を足で上に持ち上げて、テントみたいにして遊んでいたんだけれど、それが妙に楽しかった。でもそれが先生に見つかって、みんなが昼寝している最中に僕だけが寝れないので、先生の仕事を手伝ったりしていた。
小2の時に、この寝つきの悪さがあだ(?)になって、僕は小さい哲学者になった。布団の中で眠れないなあと思っていろいろ考えていると、急に「この広い宇宙に生きている自分はなんなんだろう」という意識が浮かんだ。それから怖くなって、リビングに降りて、深夜のテレビを見たりしたけれど、ずっとドキドキしていた。次の日も次の日も次の日もずっと同じことを考えながら寝ていた。
引きこもってからは、うつ病が酷くなって、余計その傾向が強くなった。なんで生きているんだろう、人間は物質に過ぎないのに、生きてる意味はあるんだろうか、自分って誰なんだろう、宇宙はなぜ存在しているんだろう、早く死にたいなあ、と布団の中で雑駁な思考をしていた。答えは出なかった。
そして、最近はというと、布団の中で、阿弥陀仏を念じることが多くなった。死についても考えているけれど、死すら内包した大きなゆりかごの中で寝ているような安心感がある。本当に、赤ちゃんにでもなったかのような、安心感がある。
布団の中では、みんなが哲学者になる。なんで生きてるんだろう。そんなことはどうでもいい。僕は如来の手の中でぐっすり寝ている。このまま死んでもいい…。
僕は保育園の時の記憶がいくつかあるんだけれど、その中に布団の中の記憶もある。布団の中心を足で上に持ち上げて、テントみたいにして遊んでいたんだけれど、それが妙に楽しかった。でもそれが先生に見つかって、みんなが昼寝している最中に僕だけが寝れないので、先生の仕事を手伝ったりしていた。
小2の時に、この寝つきの悪さがあだ(?)になって、僕は小さい哲学者になった。布団の中で眠れないなあと思っていろいろ考えていると、急に「この広い宇宙に生きている自分はなんなんだろう」という意識が浮かんだ。それから怖くなって、リビングに降りて、深夜のテレビを見たりしたけれど、ずっとドキドキしていた。次の日も次の日も次の日もずっと同じことを考えながら寝ていた。
引きこもってからは、うつ病が酷くなって、余計その傾向が強くなった。なんで生きているんだろう、人間は物質に過ぎないのに、生きてる意味はあるんだろうか、自分って誰なんだろう、宇宙はなぜ存在しているんだろう、早く死にたいなあ、と布団の中で雑駁な思考をしていた。答えは出なかった。
そして、最近はというと、布団の中で、阿弥陀仏を念じることが多くなった。死についても考えているけれど、死すら内包した大きなゆりかごの中で寝ているような安心感がある。本当に、赤ちゃんにでもなったかのような、安心感がある。
布団の中では、みんなが哲学者になる。なんで生きてるんだろう。そんなことはどうでもいい。僕は如来の手の中でぐっすり寝ている。このまま死んでもいい…。
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