懺悔の不可能性 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

懺悔の不可能性

 最近、前立腺炎の解消のために散歩をしているんだけれど、曇り空の下で、一人ぷらぷら歩いていると、この句を思い出す。「どうしようもない私が歩いている」
 どうしようもない。どうにもならない。どうにかしようがない。どうしようもないとはこういう意味らしい。
@ そうなるよりほかに方法がない。他に方策のとりようもない。 「もうこうなったら−・い」
A 救いがたい。 「 − ・いやつだ」

 僕は、鈍感な人間だから、引きこもるまでは自分のどうしようもなさ、救いがたさに気づかずに生きてきたけれど、作家や哲学者と言った人々は、普通に生きる中でこのどうしようもなさに気づいている。特にフランスのモラリストや日本の近代文学者など。
 自分を批評してみると、まさにどうしようもなくて、その批評している自分が胡坐をかいたりしているのだから、まさにどうしようもない。
 人間は「邪悪」な存在ではなくて、「卑しい」存在なのであるという文章を最近読んだ。人間は卑しい。自己中心的で偽善的だ。でもこれはどうにもならない。こういうのを「原罪」と言うんだろう。最近、懺悔の不可能性ということを考える。
 「僕」がこう思う。こう言う。
 「"私"はなんて浅ましい人間なんだろう」
 このとき「僕」は"私"ではない。"私"は浅ましい存在かもしれないが、「僕」はそういったそばから平気な顔をして生きている。"私"を浅ましいと思うことで、「僕」は「自分で自分の浅ましさに気づいている善人である」という「浅ましさ」を背負うことになるし、他人に対して"私"は浅ましいと言うことで、謙虚な「僕」を装うという「浅ましさ」を背負うことになる。僕は、人間の根源的な「悪」はこの「僕」の「嘘」だと思う。
 懺悔というのは不可能なんじゃないか。人間は多分救えない。最近見つけて気に入っている詩がある。人間の救われがたさ、どうしようもなさを雄弁に語っている。
わがこころ 見えもせず
りんじゅう《臨終》に 見える心が鬼となる
あさましあさまし
あさましいのも うそよの うそのかわよの
かわ かわ うそのかわ うそのかわ
うそのかわ うそのかわ うそのかわ
あさまし あさまし
あさましいのも うそのかわ

 うそのかわ うそのかわ 何回言ってもうそのかわ うそのかわ うそのかわ うそのかわ うそのかわ うそのかわ 何回言ってもうそのかわ うそのかわ

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