女
僕は女に倦みたい。女に、甘ったるい幻想を持つのをやめたい。徹底的に幻滅したい。断固として言うが、意味のない禁欲主義を主張してるのではない。僕は女に倦みたい。女に幻滅をするために、セックスを求めるというのは、確かに転倒している
と以前タンブラーに書いたが、今回の旅行でかなり目的は達成できたと思う。
僕はほとんど童貞で、女体に対して強い幻想を持っていたので、その幻想を振り捨てられてよかった。
女体に、救いを求めていた。セックスをすれば、救われると思っていたが、大きな間違いだった。最初から分かっていたが、それを実感できたのでよかった。
今回は、セックスの最中に、漠然とした不安が襲いかかって来て、デパスを飲みまくった。セックスに失敗した。セックスは救いにならない。僕はセックスで救われる人間ではないのだと思う。
なんにしても、女体に幻滅できてよかった。
僕は長年、社会との交流を絶っていたので、社会的な欲望がない。人に認められたいという欲望や、社会的な地位が欲しいという欲望が、全くないとは言えないけれど、かなり希薄だ。ストア主義的な哲学に親しんだのも原因だと思うけれど。でも一度、地位を得てみたい。おそらく幻滅するから。トルストイが文壇で最高の成功をおさめているときに絶望したように。
僕にはまだまだ幻想がある。幻想に過ぎないと分かっていても、振りほどけない。例えば、女と同棲をすること。同棲をしても救われないとわかってはいる!
人生に幻滅したエピソードが二つある。他人の人生だけれど、市川海老蔵と、スティーブ・ジョブズだ。僕は以前処女厨で、処女厨関連のコピペを読みまくっていたのだが、その中に海老蔵は、小林麻央が処女だから結婚を決めたというのがあった。(真偽は知らないけれど)小林麻央が癌になったとき、僕は処女に幻滅した。というより女に完全性を求めることをやめた。
スティーブ・ジョブズは、死んだのがシンプルにショックだった。どれだけ頑張って、どれだけ尊敬されて、どれだけ人に影響を与えても、人間は死ぬ。これは当たり前のことだけれど、人生に幻滅を感じた。
浅野いにおの短編集に「夢なんて叶えたらただの現実だったよ」という名ゼリフがある。僕は以前、キャバクラで一所懸命学費をためて、専門学校へ通って、念願の美容師になった人と付き合ったことがある。その人曰く「思ってたのと違った」
夢や希望は持たない方がいい。救いを求めないほうがいい。僕は今おんなと同棲したい。しかしそれも幻滅に変わるだろう。幻滅するために同棲したいのだ。
精神的マゾヒストなのか?
僕は世界に幻滅したい。希望を絶やしたい。芯から絶望したい。
その先に待っているのは、恐らく信仰だろうけど
2017年に「幻滅」というタイトルで書いたブログ記事。僕はニーチェのいうように人生を認識の実験場にすることが誠実なことだと思っているので、自分の人生で出来る限り実験をしている。だから、この記事を書いた直後に女と同棲をした。同棲を始めた頃は楽しかったけれど、待っていたのは「倦怠」だった。永遠ではなかった。頭では分かっていたよ。それでも僕は自分で実験して幻滅したかった。
このブログ記事の通りになった。恋人と別れて、女に永遠性を求めるのをやめて、信仰にひたむきになった。永遠性を垣間見た。そうすると、女への激烈な欲求がポロっと剥がれ落ちた。僕は女には「性」を求めていたのではなくて、「聖」を求めていたんだな、と改めて思った。
女に対する「性」の欲求も「聖」の欲求も本質的なものではなくなった。これから女を求めるとするなら、それは「生」を求めてなんだろうな、と思う。
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