弱い
私がいきてゆけなくなったのは、食べ物がないからではない。着物がないからでもない。住宅がないからではない。私の心の底まで知り尽くしてくれるものがないではないか。人生の底に、うらぎらない愛がないものだろうか。
という手記を残して自殺した、北ヨーロッパの老人の話を、ある先生から聞かせて頂いたことがあります。
仏教ては「無我」と言って我という実体を否定するけれど、本当に自分って存在しないんだろうか。僕は存在しないものを追い求めてるんだろうか
誰にも理解されなさすぎて自殺したくなることがある。
どれだけブログ記事を書いても、どれだけ話をしても、デートしても、同棲しても、セックスしても、誰にも理解されない。「君は本当に空っぽで弱い人間だね、どうしようもなく卑怯だね、救いがたい人間だね」って言われたい。昔からずっと、自分の中の弱さを隠して強がって生きてきて(みんなそうだと思うけど)でもたぶん、僕はみんなよりずっと弱い。一人で立つことができない。僕の決定的な「弱さ」を全開にすると、人は離れていっちゃうと思う。10代の頃はやってたけど、寂しいときに、相手が見ていないのに、何時間もずっと「寂しい」ってチャットを送り続けてた。スカイプの通話で、1時間ぐらい「死にたい」ってず〜っと言ってた。でも、それよりも弱い。立てない。僕は一人で靴下が履けない。
表面じゃ足りないもっと肉の奥の奥の奥の命の命————のちゃぴ
透明な肉体になりたい。そこに残った全部の「嘘」を抱きしめてほしい。
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