疑う必要がない
常に、既に、成就している「南無阿弥陀仏」がある。鈴木大拙は阿弥陀仏を「原初の意志」だと書いていたが、この原初の意志は「思考」以前にある。「思考以前」の「声」が自分を呼んでいる。「心配するな」「今すぐ救う」「お前には何もいらない」「早く助かってくれ」と僕の口から「南無阿弥陀仏」が出る。僕の思考以前に「完成」しているものに、ああだこうだと「はからい」を加える必要がどこにある。南無阿弥陀仏は思考以前だ。「必ず救う」という原初の意志が僕の口から出ている。
「でも思考以前にあるというのは"仮定"じゃないのか?」
と、ごちゃごちゃ考えなくていい。既に救いは完成している。疑いを晴らさなきゃいけないんじゃなくて、疑う必要がなかった。
「でも思考以前にあるというのは"仮定"じゃないのか?」
と、ごちゃごちゃ考えなくていい。既に救いは完成している。疑いを晴らさなきゃいけないんじゃなくて、疑う必要がなかった。
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