ただいま
引きこもりあるあるに「家にいるのに帰りたいと思う」というのがある。めちゃくちゃわかる。家にずっと引きこもってるのに「あ〜なんか帰りたいなあ」と思う。家にいるのに帰りたい。
今日、久々に悟りのスピリチュアルの本を読んで、「ホームに帰る」という表現を見て、ハッとした。悟りというのは「家に帰る」ことなんじゃないか。道元禅師も「悟った心というのは全てのものに親しみのある心」と言っている。どこに行っても何もかも自分に親しい、家みたいな状態で、「ホッ」としているんじゃないか。
死んだ人のことを「浄土に帰られました」と表現することがある。もともと娑婆世界に居たんだから「帰る」という表現はおかしくないか?と思って調べたら、どうも典拠があるらしい。
他にも善導の著作にたくさんこのような表現が出てくるし、親鸞も唯信鈔文意で「法性のみやこにかえる」と言っている。
人間は、「帰る」ために生きているのかもしれない。これから人に「人間の生きてる目的って何?」って聞かれたら、「帰るために生きてる」って答えようかな。本当の「ただいま」が言えた時、人間は真に癒えるのかもしれない。
今日、久々に悟りのスピリチュアルの本を読んで、「ホームに帰る」という表現を見て、ハッとした。悟りというのは「家に帰る」ことなんじゃないか。道元禅師も「悟った心というのは全てのものに親しみのある心」と言っている。どこに行っても何もかも自分に親しい、家みたいな状態で、「ホッ」としているんじゃないか。
死んだ人のことを「浄土に帰られました」と表現することがある。もともと娑婆世界に居たんだから「帰る」という表現はおかしくないか?と思って調べたら、どうも典拠があるらしい。
慶ばしきかな人身を得て要法を聞き たちまちに他郷を捨てて本国に帰
ること (般舟讃、七祖篇 p.738)
意訳:よろこばしいことだ、人間存在に生まれて肝要な(浄土の)教えを聞き、
すぐさまよその土地(である迷いの世界)を捨てて、(自分たちの)本国(すなわち
帰るべき故郷である浄土)に帰ることは。————善導
他にも善導の著作にたくさんこのような表現が出てくるし、親鸞も唯信鈔文意で「法性のみやこにかえる」と言っている。
人間は、「帰る」ために生きているのかもしれない。これから人に「人間の生きてる目的って何?」って聞かれたら、「帰るために生きてる」って答えようかな。本当の「ただいま」が言えた時、人間は真に癒えるのかもしれない。
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