将来の夢
将来の夢なに?と聞かれたので「死ななくなること」と答えた。死ななくなる方法がどうやらあるらしい。
僕は将来のことを考えるのが下手な病気らしい。将来設計も何もない。母親に、けんちゃんはどうなりたいの?と聞かれたとき、「いつ死んでもいいようになりたい」と答えたら、悲しい顔をされた。母親は死ぬ前、「母さん、今はまだ死にたくないわあ。今死んだら悔しいわあ。」と言っていた。僕も悲しかった。いつもの海でそう言われた。孫の顔も見たかったろうし、僕のことも心配だったろう。「まだ死にたくないとき」に死んでしまった。
「いつ死んでもいい」というのは、底抜けに明るいことだと思う。大体の人間は「まだ死にたくない」と思いながら死んでいくんじゃないか。80歳で「まだ死にたくないのに死ぬ人」になるより、30歳で「死んでもよくて死ぬ人」になりたい。
諦念とか、倦怠とかから出てくるのではない、「いつ死んでもいい」 ただそこを目指して生きてる気がする。僕はまだ死にたくない。
僕は将来のことを考えるのが下手な病気らしい。将来設計も何もない。母親に、けんちゃんはどうなりたいの?と聞かれたとき、「いつ死んでもいいようになりたい」と答えたら、悲しい顔をされた。母親は死ぬ前、「母さん、今はまだ死にたくないわあ。今死んだら悔しいわあ。」と言っていた。僕も悲しかった。いつもの海でそう言われた。孫の顔も見たかったろうし、僕のことも心配だったろう。「まだ死にたくないとき」に死んでしまった。
「いつ死んでもいい」というのは、底抜けに明るいことだと思う。大体の人間は「まだ死にたくない」と思いながら死んでいくんじゃないか。80歳で「まだ死にたくないのに死ぬ人」になるより、30歳で「死んでもよくて死ぬ人」になりたい。
諦念とか、倦怠とかから出てくるのではない、「いつ死んでもいい」 ただそこを目指して生きてる気がする。僕はまだ死にたくない。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり—————孔子
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