生きる意味
たいがい人間のやることは、べつにはっきりした人生観があってやっているのではない。ただ肩の凝った時にトクホン貼ってみるぐらいの、まにあわせの人生観でやっているのでしかない。———————澤木興道
スカイプちゃんねるで「なんで生きてるの?」と聞くと「死ぬのが怖いから」「生まれてきたから」「人それぞれ」としか返ってこない。日本の若い人はそういう宗教に生きているので仕方がないけれど、自分の「人生観」を「反省」することもなく生きているんだなあと、幸せそうだな、と。
言語学を昔学んでいた時「意味」というのは「他のもっと重要なものを指し示すもの」という学説があった気がする。りんごという言葉は「りんごそのもの」という言葉よりも重要なものを指し示している。意味というのは、別のものを指し示すこととしよう。
死ぬ恐怖から逃れるために生きるんだよ死ぬっていうのは悪だと考えればいずれ悪になるかもしれないがそれまで期間がどれほどあるかによって生きる価値があるんじゃないの?いずれ死のうな何だろうがそれまでの過程に意味をなすなら生きる意味があると思うよ
何でもかんでも結果ばかりが答えではないと思うよ
さっきスカイプで説教してきた女の子の引用。「過程」に意味はあるのか?言い換えると、「過程」は何かを指し示しているのか?
僕の母親は6月に死んだ。母親の人生が無駄だったとは思いたくないので、何か意味があったとしよう。母親の人生の「過程」が指し示しているのは、多分一番指し示しているのは、「子供」だろう。母親の人生の過程は「僕」を指し示している。そして母親は無になった。
僕もきっと何か指し示すだろう。子供かもしれないし、何かの作品かもしれないし、ネットに書いているこのブログかもしれない。「過程」が「過程」を生んでいく。それが人生ともいえる。
青山なんとかという右翼の政治活動家が、たかじんの番組で「人生というのは本質的には虚しいものなんですよ、それを虚しくなくするには、他人のために尽くすしかない」と言っていて、青山なんとかという人のことは一切知らないけど、この言葉は凄く心に残っている。「歴史」や「社会」や「他者」を人生の「過程」で指し示していく。それが人生の意味だ。過程には意味がある。数珠繋ぎのように、「過程」が何かを指し示していく。結局のところ個人は「無」になるにしても、意味はあるじゃないか、過程が大事じゃないか。
ただ一番の問題は、数十億年後に、太陽が地球を飲み込んで、全ての生物は死ぬということである。全て灰になる。なんの意味もなくなる。数珠繋ぎの終点は「無」だ。結局「過程」の数珠繋ぎにも究極的な意味はない。
人生に意味はない。死ぬのが怖いから生きてるだけ。お前、ほんとに生きてるのか?
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