母の日
世界中の子供が、親に何を思っているかというと、感謝と謝罪、すなわちありがとうとごめんなさいだと思います。僕もそう思っています。育ててくれてありがとう。親不孝でごめんなさい。
今まで恥ずかしくて母の日に何もしてなかったけど、母さんがこんな感じになっちゃったから、思ってることを書きます。
ありがとうの部分については、僕は子供会でどこかの遊園地に行った時に笑顔でこっちにおいでって言ってたことと、親と竹とんぼをする学校の行事で母さんが遅れて僕が大泣きしたことと、不登校になったときにめちゃくちゃ叱られたことなど、たくさんの思い出に感謝です。僕はあんまり日常の記憶がないんだけれど、場面場面の母さんの顔を思い出します。小さいときはいろいろ旅行も行ったね、ひるぜんとか、姫路とか。場面場面の思い出も大事だけれど、母さんが病気で床に臥せてから、母さんがいろんな家事を一人でしてくれていたんだと感じました。風呂の着替えが廊下に置いてあるのが当たり前で、最近は着替えを出すのが面倒で、着ていた服をそのまま着ることが多いです笑
6年間も引きこもっちゃったけど、世間体のことなど何も言わず、心配だけはめちゃくちゃしてくれて、具合の悪い鬱の状態を支えてくれたことにも感謝しています。肺気胸と自閉症スペクトラム障害があり、引きこもっているという状態は、もしかしたら自殺してもおかしくなかったかもしれません。死にたいといつも思っていました。この家族じゃなければ、死んでいたかもしれません。何も言わずに、ご飯を食べさせてくれて、見守っていてくれて、ありがとうございました。
ごめんなさいの部分については、全部ごめんなさいです。学校をやめちゃってごめんなさい。体が弱くてごめんなさい。引きこもっててごめんなさい。何一つ親孝行できなくてごめんなさい。全部ごめんなさいです。
母さんは家族が一番の人だから、今何が一番辛いかというと、家族の面倒を見れないことが一番つらいんだと思う。でもたぶんみんなそれなりにやっていけるから大丈夫。もし死んじゃったら子供や孫の成長過程が見れないのもつらい原因だと思うけど、それも多分天国から見れるから大丈夫。
ニーチェの永劫回帰の話をしたことを覚えていますか。僕が「ニーチェって人はこの人生を永遠に何回も繰り返してると仮定して、それを受け入れられる人が超人って言ったんだって」ってデパートの前の車の中で話した時、母さんは「えー、じゃあ母さん超人じゃわ〜」と言っていました。母さんはこの人生を何回繰り返してもいいんだなあ、すごいなあと思いました。でもそれは僕も同じで、次の人生があったとしても、またこの家族と同じ人生を歩んでも構わないです。また母さんの子供がいいな。
しみったれたこと書いたけど、僕は母さんの病気が治ると信じています。気休めではなく、なぜか本当にそう思います。最近読んだ本では、心が神経を伝って体の運命を決めるので、心を積極的にすれば、病気は治る、と当時は不治の病であった結核を心の力で治した人の本を読みました。僕は治ると信じています。だから前みたいにめそめそ泣くことはなく、最近は普通に過ごしています、治ると思っているので。いつか「あの時はほんまに大変じゃったなあ」と言える日が来ると思っています。なんとなくオプジーボとか温熱療法でよくなる気がする。
最近は、家族の仲が暖かくなっているのを感じます。母さんも感じてると思う。母さんと父さんが仕事ばかりのときはピリピリしてたけど、最近はあったかい。この前行った温泉旅行も、これまでにないぐらい家族が仲が良かったですね。哲学者や宗教者はみんな、「メメントモリ(死を忘れるな)」と言っていますが、やっぱり死という有限性を意識することで、この限られた人生というものがくっきりして、お互いを大事にしようという気持ちになるんだと思います。あのピリピリした家庭の感じが数十年続いていたら、正直嫌でした。人生の幸せの量は決まっている、という考え方がありますが、「死」を意識すると、よりみんなが幸福になるので、長生きなのが幸福なのではなくて、死の意識から溢れる愛が大事なわけで、寿命はそんなに大事ではないのかなとも思いました。難病にかかっている子供がいるとしたら、その子供は有限性がより意識される分、親に愛される人生を送ると思います。そう考えると人生における幸せの量は本当に決まっているのかなとこの前ふと思いました。
体が弱くて精神も弱いダメな息子でも、見捨てないでくれて、ありがとうございます。親不孝でごめんなさい。
これからもよろしくお願いします。
今まで恥ずかしくて母の日に何もしてなかったけど、母さんがこんな感じになっちゃったから、思ってることを書きます。
ありがとうの部分については、僕は子供会でどこかの遊園地に行った時に笑顔でこっちにおいでって言ってたことと、親と竹とんぼをする学校の行事で母さんが遅れて僕が大泣きしたことと、不登校になったときにめちゃくちゃ叱られたことなど、たくさんの思い出に感謝です。僕はあんまり日常の記憶がないんだけれど、場面場面の母さんの顔を思い出します。小さいときはいろいろ旅行も行ったね、ひるぜんとか、姫路とか。場面場面の思い出も大事だけれど、母さんが病気で床に臥せてから、母さんがいろんな家事を一人でしてくれていたんだと感じました。風呂の着替えが廊下に置いてあるのが当たり前で、最近は着替えを出すのが面倒で、着ていた服をそのまま着ることが多いです笑
6年間も引きこもっちゃったけど、世間体のことなど何も言わず、心配だけはめちゃくちゃしてくれて、具合の悪い鬱の状態を支えてくれたことにも感謝しています。肺気胸と自閉症スペクトラム障害があり、引きこもっているという状態は、もしかしたら自殺してもおかしくなかったかもしれません。死にたいといつも思っていました。この家族じゃなければ、死んでいたかもしれません。何も言わずに、ご飯を食べさせてくれて、見守っていてくれて、ありがとうございました。
ごめんなさいの部分については、全部ごめんなさいです。学校をやめちゃってごめんなさい。体が弱くてごめんなさい。引きこもっててごめんなさい。何一つ親孝行できなくてごめんなさい。全部ごめんなさいです。
母さんは家族が一番の人だから、今何が一番辛いかというと、家族の面倒を見れないことが一番つらいんだと思う。でもたぶんみんなそれなりにやっていけるから大丈夫。もし死んじゃったら子供や孫の成長過程が見れないのもつらい原因だと思うけど、それも多分天国から見れるから大丈夫。
ニーチェの永劫回帰の話をしたことを覚えていますか。僕が「ニーチェって人はこの人生を永遠に何回も繰り返してると仮定して、それを受け入れられる人が超人って言ったんだって」ってデパートの前の車の中で話した時、母さんは「えー、じゃあ母さん超人じゃわ〜」と言っていました。母さんはこの人生を何回繰り返してもいいんだなあ、すごいなあと思いました。でもそれは僕も同じで、次の人生があったとしても、またこの家族と同じ人生を歩んでも構わないです。また母さんの子供がいいな。
しみったれたこと書いたけど、僕は母さんの病気が治ると信じています。気休めではなく、なぜか本当にそう思います。最近読んだ本では、心が神経を伝って体の運命を決めるので、心を積極的にすれば、病気は治る、と当時は不治の病であった結核を心の力で治した人の本を読みました。僕は治ると信じています。だから前みたいにめそめそ泣くことはなく、最近は普通に過ごしています、治ると思っているので。いつか「あの時はほんまに大変じゃったなあ」と言える日が来ると思っています。なんとなくオプジーボとか温熱療法でよくなる気がする。
最近は、家族の仲が暖かくなっているのを感じます。母さんも感じてると思う。母さんと父さんが仕事ばかりのときはピリピリしてたけど、最近はあったかい。この前行った温泉旅行も、これまでにないぐらい家族が仲が良かったですね。哲学者や宗教者はみんな、「メメントモリ(死を忘れるな)」と言っていますが、やっぱり死という有限性を意識することで、この限られた人生というものがくっきりして、お互いを大事にしようという気持ちになるんだと思います。あのピリピリした家庭の感じが数十年続いていたら、正直嫌でした。人生の幸せの量は決まっている、という考え方がありますが、「死」を意識すると、よりみんなが幸福になるので、長生きなのが幸福なのではなくて、死の意識から溢れる愛が大事なわけで、寿命はそんなに大事ではないのかなとも思いました。難病にかかっている子供がいるとしたら、その子供は有限性がより意識される分、親に愛される人生を送ると思います。そう考えると人生における幸せの量は本当に決まっているのかなとこの前ふと思いました。
体が弱くて精神も弱いダメな息子でも、見捨てないでくれて、ありがとうございます。親不孝でごめんなさい。
これからもよろしくお願いします。
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