人生
僕は発達が障害しているので、一つのことをやり始めると、とことん追求してしまう。僕の追及しているものは「真理」や「死」だった。10代で引きこもって、6年間かけて2000冊以上本を読みあさったが、真理や死については何も分からなかった。書物はくだらないということだけが分かった。人間は煩悩で書物を出す。人間は煩悩で小難しい言葉を吐く。それだけが分かった。人間の群れがあり、人間が本を出して、人間が褒めあう。褒めあうために真理についての言葉遊びをする。
残念ながら、本の中には、真理や死や幸福は載っていない。他のアプローチはないものか。いいものが見つかった。どうやら瞑想や坐禅というもので、真理、死、幸福というものが明らかになるらしい。瞑想には再現性があるっぽいし、精神病を治すにも向いてるっぽい。発達の障害による強迫的な読書が、強迫的な瞑想に交代しそうな感じである。本の中には何もなかった。だから別の方法で探そうと思う。文章の中に真理を探すのをやめて、観察によって真理を探すのをとことん追求しようと思う。いろいろな人生がある。生きるのだけで精一杯の人生もあるし、社会的に成功したい人生もあるし、神に捧げる人生もあるし、仏道の道具になる人生もあるし、僕みたいな強迫的に知りたがる人生もある。とにかく知りたい。終わり続ける世界の仕組み。僕の人生はこれでいい、多分。
残念ながら、本の中には、真理や死や幸福は載っていない。他のアプローチはないものか。いいものが見つかった。どうやら瞑想や坐禅というもので、真理、死、幸福というものが明らかになるらしい。瞑想には再現性があるっぽいし、精神病を治すにも向いてるっぽい。発達の障害による強迫的な読書が、強迫的な瞑想に交代しそうな感じである。本の中には何もなかった。だから別の方法で探そうと思う。文章の中に真理を探すのをやめて、観察によって真理を探すのをとことん追求しようと思う。いろいろな人生がある。生きるのだけで精一杯の人生もあるし、社会的に成功したい人生もあるし、神に捧げる人生もあるし、仏道の道具になる人生もあるし、僕みたいな強迫的に知りたがる人生もある。とにかく知りたい。終わり続ける世界の仕組み。僕の人生はこれでいい、多分。
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