恋愛 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

恋愛

 当り前だが「愛」とは「与える」ことである。「楽」を与えて、「悲しみ」を抜くのが「愛」である。こんな基本的なことも分かってないのが、物質主義に汚染された日本の恋愛である。
 宗教的に荒廃した場所、大きな物語が失われた場所では「恋愛」が流行るという。人間には宗教的な本能があり、その宗教的な本能により、神を崇めたり、阿弥陀仏を崇めたり、アニメにハマったり、アイドルを偶像視したりするのだが、それは「何かにすがりたい」からである。人間は、何かにすがらないと生きられない。その絶対的な「何か」が欠落しているので、労働やアニメや金や異性にすがろうとする、特に「性欲」というのは人間の根本的な欲求であるので、性欲を利用した「すがり」というのはめちゃくちゃ流行る。僕は今恋愛が流行っているのはこのような文脈であると思う。絶対的に「すがる」ものがなくなり、個々人の繋がりも希薄になり、「孤独」になる。そういう文脈での恋愛なので「依存」という言葉が出てくる。
 初恋のことを今でも覚えているが、僕はブログの中で「女神」と書いていた気がする。彼氏や彼女は「神」である。異性を極端に「理想化」し、「運命の人、完璧な人」だと勘違いをする。人間が神に対して「与える」ことは絶対にない。「神」が人間に「与える」人間は何をするか?人間は「求める」のである。
 お互いがお互いのことを神だと崇めているが、お互いは何も「与える」気がなく(だって自分は人間だから)お互いはお互いに「求める」だけである(だって自分は人間だから)「求めよ、されば救われん」という言葉が聖書にあるが、これは「神」に求めるから救われるのであって、人間が人間に求めても、救われることはない。
 要するに、恋愛とは、お互いに相手のことを神だと勘違いした弱い人間が、お互いに「求めあっている」勘違いのシナリオのことである。もちろん相手は神ではないので求めても求めても満たされることはない。
 愛とは与えることで、求めることではない。お互いが幸福になるには、与え合わなければならない。それが仏になるということである。僕の好きな仏教書に「仏陀の慈しみは愛を超える」という本があるが、その通りだと思う。仏教は既成宗教が荒廃してきたときに出来た思想だからかどうかは分からないが、「愛」はよくないものだと言う。「愛」なんかただの執着にすぎないという。それよりも崇高なのは慈しみである。僕は今恋愛をしているが、「恋愛」とかいうくだらない次元を超えて、「慈悲」の領域で関わりたいなと強く思っている。そういうビジョンのない恋愛はハッキリ言ってゴミだと僕は思う。「好きだから相手の存在から癒しを受け取る」という態度が褒められたものだととても思えない。「好きな人といると幸せ」みたいなふわふわした態度でする恋愛なんか本当にしょうもない、不幸に直結した行為だ。
 
 坊さんが「山にかかっている雲と、その山みたいな関係」がいいと言っていたが、そう思う。求めあうこともなく、支えあうこともなく、ただただ一緒にいる。ハッキリした恋愛観のない「なんとなく」の恋愛は、無免許運転してるようなもんだ。

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