死について | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

死について

「僕は死ぬのが恐ろしいんだ。まだはっきりと覚えている、小学生の時だ。僕は自分は18歳で成長が止まる奇病だと思い込んでいた。いや、12歳だったかな。まあとにかく、自分は死なないと思っていたわけだ。そんな僕の淡い妄想が崩れ落ちた夜があった。前兆もなく、突然がらんどうの無の中に放り込まれた。君にもそういう経験があるだろう?布団の中で、胸には穴が穿たれ、手足が痺れ、目を閉じればその瞬間死んでしまうような気がする。」
『ああ、俺にもそういう時期があったよ。それで?』
「うん、それで僕は一日中死後の世界のことを考えていたよ。学校まで徒歩で通っていたんだが、登校中はもっぱら天国や地獄や無について考えていたってわけ」
『嫌な小学生だな。』
「理科で進化論を習ったときは、目が眩んだよ。叫びだしたい気分だった。じゃあなんのために生きているんだって。僕たちはどこから来てどこへ行くのか。僕はまだ幼かった。人生の虚無性というよりは、死の恐怖に怯えていた。夜中に恐ろしくなって、飛び起き、
面白くもない深夜番組を見つめていた。死は恐ろしい。そうだろう?」
『そりゃそうだが、それでお前は結局なんの話がしたいんだ?』
「そりゃあ天国や地獄や無についての話に決まっているだろう。僕は死の影に怯えながらいろんな書物を読み漁ったよ。人類学、宗教学、哲学、生物学・・・・・・・・・。」
『ごくろうなこった』
「君は死にたいと思ったことがあるか」
『そりゃあね』
「なぜ死ななかった?」
『怖いからさ』
「何が?」
『無が』
「それじゃ死後の世界は信じないんだね」
『そうだな。俺は無宗教の唯物主義者だ。』
「僕は無宗教の不可知論者だ。僕は死とは何か知ることはできないと思っている。でも死について少しでも近づいてみたい。喉に引っかかった死にできるだけ親しみを持ちたいんだ。」
『死。』
「死。死は生物学的なモノだ。@生物は死ぬ。A人間は生物である。B人間は死ぬ。簡単な三段論法さ。ネオダーウィニズムの旗手ドーキンスによれば、僕たちは遺伝子を乗せた"機械"に過ぎない。僕たちは遺伝子という情報を運ぶための奴隷だ。それ以上でもそれ以下でもない。運ぶ"ため"と言ったが、これは僕たちが遺伝子を運ぶ"ため"に生まれた、ということではないよ。複製されるという情報を持った分子が生き延びてきたというだけの話。全く複製されない遺伝子と複製を繰り返す遺伝子があれば、後者の遺伝子の絶対数が増えるのは当然だろう?そして、複製分子同士の競争に勝つために、遺伝子は"生物"で武装するようになった。」
『よくわからんが、とにかく生物は乗り物に過ぎないってことだな。』
「そうだ。ここから出てくる結論は一つ。自己複製子によって操られている機械にすぎない。よって生物個体としての生の意味はない、ということになる。これが現代に広く受け入れられている死についての認識ではないかな。」
『うーん…。』
「シュレーディンガーという名前を聞いたことがあるだろう。シュレーディンガーの猫という思考実験で有名な物理学者だ。そのシュレーディンガーは晩年、生物を完全に物理学の語彙で表現できると考えた。デカルトより徹底した生物機械論を唱えたわけだ。」
『ふーん。そんなもんかね。まあ俺も魂だの精神だの信じないけどな。』
「君と同じ唯物主義者だったってこと。この唯物論の反対にあるのが観念論だ。プラトンぐらい君でも聞いたことがあるだろう。プラトンは対話篇において、魂の存在や死後の世界について説いたんだ。死は肉体という牢獄からの脱獄にすぎないとね。人間は死んだあと、ハーデスの裁きを受け、善人は天国へ、悪人は地獄に…。」
『そうあってほしいものだけどね』
「そうかもしれないよ。実際、この説はキリスト教へ取り込まれ、近代まで人々の死生観を支配していた。死を神話<ミュトス>によって否認していたんだ。」
『おめでたいな。』
「僕もそう思う。ただ古代や中世にも死後は無であると考えた人がいる。それが君の祖先、古代唯物論者エピクロスだ。エピクロスは死を冷徹に見つめた。そしてある天才的なアイデアを閃くんだ。それは【死は無よりもとるに足りないものである】という教説だ。生きている間は死を経験することはできない。しかし、死んでしまえば、死は経験することができない。僕たちは、死とすれ違うが、正面衝突はしないってわけ。考えてみれば当たり前のことだね。すこぶる論理的だ。では、なんで僕たちはこの教説を聞いても死の影に怯えるのだろう。僕はこの非合理的な恐怖は生物学的なものにすぎないと思う。人は"無"が恐ろしいと言う。本当にそうだろうか?無は無だ。僕たちは生物であるから、生存欲求を持っている。猫やミミズと持っているものと質的には全く同じだ。そしてこれは"欲求"だ。性欲や食欲と同じ次元にある。理性の場面では、"死"はエピクロスの教説によって、もはや恐怖ではなくなっている。今問題なのは生物学的な生存欲求だけだ。そしてこの生存欲求は進化論で説明できる。」
『それで?』
「この生存欲求は本当にただの"欲望”にすぎない。性欲や食欲や生存欲求は進化論で説明できると言ったよね。それを"理解”することが……。」
 そこまで喋って、僕は全てが馬鹿らしく、みみっちく、不浄なものに思われた。死は、どんなに言葉を尽くしても、なにか得体のしれない残滓をまき散らすのだ。僕は蒼白の顔でM君に別れを告げ、家に帰った。ゲームをした。楽しかった。

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