人間
最近、「人知の及ばない」って言葉が文字通りに感じられるようになった。例えば 死後 神 生の意味 思考の限界 宇宙の果て など。
人間の認識の限界は必ずある。そんな単純なことをみんな忘れている。近代の啓蒙主義の残香だと思う。僕は自分史が哲学史とパラレルになってると考えることがある。原始的な信仰(僕だけは死なないと思っていた)から近代的な哲学へ(前にも書いた通り厳格な原子論者だった)。そして今は思想的モラトリアムといったところか。そんな僕が科学主義者だった中学時代、科学が全てを明らかにしてくれるという素朴な信仰があった。おそらくゲームの進化に圧倒されていたのだと思う。実際にテレビゲームをはじめ、身の回りのものがことごとく進化していった。科学主義者になるのも無理はないと思う。
でも僕は、もうそんなナイーブな信仰を信じることができなくなってしまった。人間の認識には限界がある。科学では分からないことがある。こういった当たり前のことが内蔵から実感できるようになった。
物事には必ず原因があるとするならば、世界には第一原因がなければならない。すなわち神が。これは大昔の神の存在証明だが、人間の思考の限界といった気がする。
物事は必ず空間に内在していなければならない。とすれば一番外の空間は何物にも内在していないことになる。人間の思考の限界っぽい。
「人知の及ばない」場所に神を要請するのは間違ってはいない気がする。
人間の認識の限界は必ずある。そんな単純なことをみんな忘れている。近代の啓蒙主義の残香だと思う。僕は自分史が哲学史とパラレルになってると考えることがある。原始的な信仰(僕だけは死なないと思っていた)から近代的な哲学へ(前にも書いた通り厳格な原子論者だった)。そして今は思想的モラトリアムといったところか。そんな僕が科学主義者だった中学時代、科学が全てを明らかにしてくれるという素朴な信仰があった。おそらくゲームの進化に圧倒されていたのだと思う。実際にテレビゲームをはじめ、身の回りのものがことごとく進化していった。科学主義者になるのも無理はないと思う。
でも僕は、もうそんなナイーブな信仰を信じることができなくなってしまった。人間の認識には限界がある。科学では分からないことがある。こういった当たり前のことが内蔵から実感できるようになった。
物事には必ず原因があるとするならば、世界には第一原因がなければならない。すなわち神が。これは大昔の神の存在証明だが、人間の思考の限界といった気がする。
物事は必ず空間に内在していなければならない。とすれば一番外の空間は何物にも内在していないことになる。人間の思考の限界っぽい。
「人知の及ばない」場所に神を要請するのは間違ってはいない気がする。
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