自由について
ラカンは、欲望は他者の欲望である、と言った。全く同意する。僕たちは他者から欲望を学習して生きている。ブルベだのイエベだのが流行っているが、流行る前はそんな欲望はなかった。
金・権力・セックスへの欲望が根底にあり、それらの根から様々な欲望が生え、習慣という果実になる。人間は習慣の奴隷である。習慣を変えるには、思考を変えるしかないが、別の思考体系を取り入れても、また別の習慣の奴隷になるだけだ。
思考というのは過去から出来ているらしい。確かに見知ったことしか考えることはできないのだから、その通りだ。9.11以前に、そのことを思考できた人は誰もいない。思考は過去からできていて、思考は習慣を作り、習慣は人間を縛る。「構造的」に、人間は不自由だ。どんなシステムがインストールされようと、システムというもの自体が不自由だから意味がない。
瞑想というのは「気づく」ことだ。思考に気づき続ける。そうすると「思考は不合理で狂っている」ということが分かる。瞑想とは「意識の質」のことで、座って呼吸を見ることではない。醒めた、明敏な意識で、思考を見守ると、不合理な思考は落ちていく。最終的に「私」が落ちると、人間は過去から自由になる。「私」というのは過去の堆積に他ならない。
友人が「幸福には型がある」と言っていた。そんなものはない。過去に学んだ「型」を未来に投影しているだけだ。
途方もない自由、幸福のためには、瞑想しかない。夢から覚めたら分かったが、瞑想をしていない人は夢を見ている。他者の欲望を生きている。瞑想は本当に途方もない。ただ気づき続けるだけで、本当の自由と幸福が味わえる。
金・権力・セックスへの欲望が根底にあり、それらの根から様々な欲望が生え、習慣という果実になる。人間は習慣の奴隷である。習慣を変えるには、思考を変えるしかないが、別の思考体系を取り入れても、また別の習慣の奴隷になるだけだ。
思考というのは過去から出来ているらしい。確かに見知ったことしか考えることはできないのだから、その通りだ。9.11以前に、そのことを思考できた人は誰もいない。思考は過去からできていて、思考は習慣を作り、習慣は人間を縛る。「構造的」に、人間は不自由だ。どんなシステムがインストールされようと、システムというもの自体が不自由だから意味がない。
瞑想というのは「気づく」ことだ。思考に気づき続ける。そうすると「思考は不合理で狂っている」ということが分かる。瞑想とは「意識の質」のことで、座って呼吸を見ることではない。醒めた、明敏な意識で、思考を見守ると、不合理な思考は落ちていく。最終的に「私」が落ちると、人間は過去から自由になる。「私」というのは過去の堆積に他ならない。
友人が「幸福には型がある」と言っていた。そんなものはない。過去に学んだ「型」を未来に投影しているだけだ。
途方もない自由、幸福のためには、瞑想しかない。夢から覚めたら分かったが、瞑想をしていない人は夢を見ている。他者の欲望を生きている。瞑想は本当に途方もない。ただ気づき続けるだけで、本当の自由と幸福が味わえる。
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