体 鳥の道 | 人生入門

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生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

体 鳥の道

 生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦から、逃れる方法はあるのだろうか?これらの共通因子はなんだろうか?
 それは身体である。身体がなければ、これらの苦しみは一切起きない。ところで僕は、この体だろうか?
 なぜこの体が僕なのか?証拠があるのか?この皮膚の内側にあるものが自分だとなぜ言えるんだろう。自明過ぎて今まで問うたことはなかった。
 瞑想によって無我を悟った人間は、これらの苦しみから逃れられる。病苦があったとしても、それに同一化しないので、第二の矢は刺さらない。しかし瞑想によって無我を悟るのは莫大な時間がかかる。
 「私は体ではない」という観念を完全に受容してはどうだろうか?私は体ではない、というのは確かに尋常ではない言明だが、あえてそれを受け入れる。信頼する。するとその受容によって、身体と脱同一化できる。一つの観念によって、もう一つの観念を剥がすことができる。

 「私はこの体ではない」という言葉をお守りにする。それが完璧に腑に落ちた時、体を超えたものになる。

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