苦しみがなくなる唯一の方法
私のことを信じろと言わなかった宗教家を二人しか知らない。ゴータマ・シッダールタとクリシュナムルティである。釈迦の遺言は有名である「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
そして、カーラーマ経という経典には、合理的であるとか、伝統的であるとか、権威があるからと言った理由で人を信じてはいけない、と書いてある。
クリシュナムルティは、自分が無理やり教祖にさせられていた教団を解散して、「真理は道なき土地である」と言い、いかなる権威も組織も認めなかった。
二人に共通しているのは、「自分で見つけなさい」ということと「不断に気づいていなさい」ということだ。絶えず、思考や感情に気づいていると、なぜ自分はこんなにも惨めなのか、なぜ不幸なのかが「理解」されてくる。そして、思考や言葉の中には安らぎや真理はないことも理解されてくる。心というのは、人間が幸福になるようにはできていない。
不断に気づいていること。自分の愚かさ、惨めさ、妬み、貪欲に気づき、理解すること。それだけが本当に大事なことであって、教養だのなんだのは必要ない。
この文章を読んだ人は、気づき続けて欲しい。難しかったら、最初は数息観やマントラ瞑想でいい。僕はどれだけ自分が狂っていて自己中心なのかがかなり理解できたし、今は、心が湖のようにシンとしていて、幸福だ。
誰でもできる。気づくこと。悟りだのなんだのはどうでもいい。信じなくていい。
そして、カーラーマ経という経典には、合理的であるとか、伝統的であるとか、権威があるからと言った理由で人を信じてはいけない、と書いてある。
クリシュナムルティは、自分が無理やり教祖にさせられていた教団を解散して、「真理は道なき土地である」と言い、いかなる権威も組織も認めなかった。
二人に共通しているのは、「自分で見つけなさい」ということと「不断に気づいていなさい」ということだ。絶えず、思考や感情に気づいていると、なぜ自分はこんなにも惨めなのか、なぜ不幸なのかが「理解」されてくる。そして、思考や言葉の中には安らぎや真理はないことも理解されてくる。心というのは、人間が幸福になるようにはできていない。
不断に気づいていること。自分の愚かさ、惨めさ、妬み、貪欲に気づき、理解すること。それだけが本当に大事なことであって、教養だのなんだのは必要ない。
この文章を読んだ人は、気づき続けて欲しい。難しかったら、最初は数息観やマントラ瞑想でいい。僕はどれだけ自分が狂っていて自己中心なのかがかなり理解できたし、今は、心が湖のようにシンとしていて、幸福だ。
誰でもできる。気づくこと。悟りだのなんだのはどうでもいい。信じなくていい。
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