与えられている
僕は多分、世界の感じ方が人と変わっている。引きこもり、自閉症スペクトラム障害、瞑想、西洋哲学、この辺の要因によって、多分だけれど、他の人と世界の感触が違ってしまっている。引きこもりで「外界」というものの意識が薄れ、自閉症スペクトラム障害で「自他の境界」が曖昧になり、瞑想でも「主観と客観」の区別が曖昧になり、バークリーやショーペンハウアーに影響されて観念論的傾向を持つようになってしまった。
言ってしまえば、全てが「意識」という要素で出来ているように感じる。机もPCも人間も音も、全て「精神的なもの」の感じがする。だから唯物論なんかは生理的に受け付けない。
もっと単純に言えば、全て夢に思える。僕が生まれた時から始まって、死ねば終わる夢に思える。これは思想じゃなくて、世界の感じ方である。
今朝、起きると、なぜか「嘘かもしれない」という思考が浮かんできて、その直後に「全ては与えられている」という直観がやってきた。この眼前の風景=夢が「与えられている」という直観があった。別にありがたいとも何も思わなかったけれど、不思議な感覚だった。
なんだったのか未だに良く分からないけれど、記録しておきたいので、ブログに記した。
言ってしまえば、全てが「意識」という要素で出来ているように感じる。机もPCも人間も音も、全て「精神的なもの」の感じがする。だから唯物論なんかは生理的に受け付けない。
もっと単純に言えば、全て夢に思える。僕が生まれた時から始まって、死ねば終わる夢に思える。これは思想じゃなくて、世界の感じ方である。
今朝、起きると、なぜか「嘘かもしれない」という思考が浮かんできて、その直後に「全ては与えられている」という直観がやってきた。この眼前の風景=夢が「与えられている」という直観があった。別にありがたいとも何も思わなかったけれど、不思議な感覚だった。
なんだったのか未だに良く分からないけれど、記録しておきたいので、ブログに記した。

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