死にたい世界
どうか世尊、わたしのために憂いも悩みもない世界をお教えください。わたしはそのような世界に生れたいと思います。この濁りきった悪い世界にはもういたいとは思いません。この世界は地獄や餓鬼や畜生のものが満ちあふれ、善くないものたちが多すぎます。わたしはもう二度とこんな悪人の言葉を聞いたり、その姿を見たりしたくありません。今世尊の前に、このように身を投げ出して礼拝し、哀れみを求めて懺悔いたします。どうか世の光でいらっしゃる世尊、このわたしに清らかな世界をお見せください —————観無量寿経
僕はこの文言は、「自殺したい」という事だと思う。この濁りきった悪い世界にはもういたいとは思いません。浄土教は厭離穢土欣求浄土、つまり汚い娑婆を離れて清らかな浄土へ行きたいという宗教だが、どうしても自殺ということが付きまとう。現に善導大師の弟子の女がこの世を苦にして自殺したということを聞いたことがあるし、病苦で自殺した弟子に親鸞がめでたいと言っている手紙があるという。
僕は上記の観無量寿経の文に、「死にたい」という気持ちがありありと見える。この世は「死にたい」と思わざるをえない世界なのだ。この世界は地獄や餓鬼や畜生のものが満ちあふれ、善くないものたちが多すぎます。わたしはもう二度とこんな悪人の言葉を聞いたり、その姿を見たりしたくありません。
死にたい世界を慈しみの光で照らして救うのが浄土教の救いだけれど、この世が死にたい世界なのは変わらない。どうにもならない。禅宗を一言で言えば「なんとかなる」だが浄土教は「どうにもならない」だ。どうにもならないから、如来のひとすじの光を仰いで、消えそうに見えるが絶対に消えることのない宗教感情を胸に秘めて、死にたい世界で死ぬまで生きるしかない。
僕はこの文言は、「自殺したい」という事だと思う。この濁りきった悪い世界にはもういたいとは思いません。浄土教は厭離穢土欣求浄土、つまり汚い娑婆を離れて清らかな浄土へ行きたいという宗教だが、どうしても自殺ということが付きまとう。現に善導大師の弟子の女がこの世を苦にして自殺したということを聞いたことがあるし、病苦で自殺した弟子に親鸞がめでたいと言っている手紙があるという。
僕は上記の観無量寿経の文に、「死にたい」という気持ちがありありと見える。この世は「死にたい」と思わざるをえない世界なのだ。この世界は地獄や餓鬼や畜生のものが満ちあふれ、善くないものたちが多すぎます。わたしはもう二度とこんな悪人の言葉を聞いたり、その姿を見たりしたくありません。
死にたい世界を慈しみの光で照らして救うのが浄土教の救いだけれど、この世が死にたい世界なのは変わらない。どうにもならない。禅宗を一言で言えば「なんとかなる」だが浄土教は「どうにもならない」だ。どうにもならないから、如来のひとすじの光を仰いで、消えそうに見えるが絶対に消えることのない宗教感情を胸に秘めて、死にたい世界で死ぬまで生きるしかない。
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