死ねばいい | 人生入門

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再来年中に読むもの
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死ねばいい

「経済的・合理的・効率的に人生を生きるためにはどうすればいいと思いますか?生まれたらすぐ死ねばいいんですよ。これが最も経済的で、コストがかかりません。——————養老孟司」

 マジで普通の女子大生と話していたんだけど、「どうせ死ぬなら生まれてこないほうがよくない?」と言ったらその通りと言っていた。特に人生に苦悩しているというわけでもない普通の女子大生だったので意外だった。反出生主義というのは時代意識なのかもしれないな、と思った。
 今死んでも30年後に死んでも宇宙は何も変わらない。だったらこの面倒な生を捨て去るほうが楽じゃないか。そのほうが「合理的」じゃないか。そう思ってる人はたくさんいると思うし、僕もそう思う。みんな死ねばいい。そしたら戦争も飢餓も格差もワーキングプアも東京オリンピックもなくなる。みんな死ねば問題は全て解決する。

 昨日久々に芸術家の友達と喋ったのだが、今は離島に住んでいるらしく、そこに住むことによって制作に対する思いが変わって来たらしい。人間が誰も入ったことのないような森へ入ると、「怖い、生きていたい」と身体がアラームを出すと言っていた。制作というのも「意識」というものがやっているものではなくて、自分の身体が心臓をうったり呼吸をしているように、ただ生きようとしているだけなのかもしれないと言っていた。身体の声を聞くのが大事だと言っていた。

 歎異抄の第9条に、唯円が親鸞に「浄土へ今すぐ行きたい(死にたい)という気が湧きおこらないのですが、これはおかしいでしょうか」と問う場面がある。そうすると親鸞は「また急いで浄土へ参りたいというような思いがなくて、ちょっとした病気でもすると、もしや死ぬのではなかろうかと心細く思うのも煩悩のしわざです。久遠の昔から、ただ今まで流転しつづけてきた迷いの古里は、苦悩にみちているのに捨てにくく、まだ生まれたことのない浄土は、安らかな悟りの境界であると聞かされていても、慕わしく思えないということは、よくよく煩悩のはげしい身であるといわねばなりません。」と答える。煩悩というのはこの「身」の問題であると思う。人間は意識=合理で生きているわけではない。なにで生きているのかと言ったら、煩悩で生きている。煩悩に眼と鼻をつけたのが人間であって、効率など求めていない。信心があるのなら、自殺すればそのまま浄土だ、そのほうが効率的だ。だけれどこの迷いの古里は捨てられないと言っている。なぜ生きるのかと問われれば、煩悩があるから、と答えるほかない。

 これを詩的に表現すれば「心臓が動いているから」と言ってもいいだろう。意識とは氷山の一角であり、海中では様々な煩悩が蠢いている。心臓も生きたがっているし、胃も生きたがっているし、腸も生きたがっている。ニーチェによれば、この身体というのは「力への意志」が闘争している場所であるらしい。様々な力への意志があり、その様々な力への意志が覇権を取るために闘争をしている。煩悩と言えば聞こえが悪いが、力への意志といえば、肯定的な感じがする。

 鈴木大拙は輪廻があるのかどうかと聞かれて、自分にはあるかどうかは分からないが、あるとしたら「渇愛」が輪廻するのだろうと言っていた。受精した瞬間に、生きんとする盲目的な意志である渇愛が受精卵に入るのだろう。というか生殖が渇愛なのだろう。

 意識=効率で考えれば、死ねばいいという結論が出る。けれども煩悩、身体、力への意志、渇愛という次元で考えれば、「生きる」という結論が出る。
 僕は煩悩まみれなので、死ぬまで生きるんだろう。

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