宗教は人間の作ったものであるか?
宗教を人間の作ったものだと固く信じて疑わない人が多くてうんざりする。完全教祖マニュアルという、教祖になるためのメソッドを書いてる本のレビューがめちゃくちゃいいが、日本人はそういうメンタリティなんだろう。
宗教が人間以前/以後なのかは、宗教にとって最大とも言っていい問題である。宗教が人間以後のものならば、そんなのはおとぎ話にすぎなくなる。逆に人間以前にあるものならば、これは真理だろう。
一神教は、人間以前ということを保証するために、神が全てを創ったという。そして、その神から「人間以前」の「啓示」を受けることによって、「人間以前性」を確保してると言ってもいいだろう。ただしこれなんかも宗教おとぎ話論者によれば、統合失調症の人間の戯言に過ぎないということになるだろう。
仏教は、「人間以前性」というところを、「言葉の絶えた風光」というところに置く。僕はそれを見たことがないが、大乗起信論に依れば妄念を全て消すことによって、言葉の絶えた世界が見えるという。龍樹菩薩の中論によれば、戯論(言葉)を寂滅することによって涅槃に至るという。仏教はこの「あるがまま」に徹することで「人間以前」を確保しているのだと思う。確かに「あるがまま」は人間以前から存在している。
お釈迦様は「法(真理)」を作ったわけではない。発見しただけだ。例えば無常というのは誰でも認めなければいけない「人間以前」だろう。
この「人間以前」が言葉になったものを「南無阿弥陀仏」という。人間がこしらえたものではない。いろもかたちもないものが言葉になったものを「南無阿弥陀仏」という。これは無常と同じくお釈迦様が作ったものではない。
そういう設定でしょ?と言われれば、言い返す言葉もないのだけれど、こういう風に宗教は「人間以前性」の可能性を持っている。それなのに不勉強で「宗教は人間の作ったもの」と決めつけるのは、一種の宗教であると思う。
宗教が人間以前/以後なのかは、宗教にとって最大とも言っていい問題である。宗教が人間以後のものならば、そんなのはおとぎ話にすぎなくなる。逆に人間以前にあるものならば、これは真理だろう。
一神教は、人間以前ということを保証するために、神が全てを創ったという。そして、その神から「人間以前」の「啓示」を受けることによって、「人間以前性」を確保してると言ってもいいだろう。ただしこれなんかも宗教おとぎ話論者によれば、統合失調症の人間の戯言に過ぎないということになるだろう。
仏教は、「人間以前性」というところを、「言葉の絶えた風光」というところに置く。僕はそれを見たことがないが、大乗起信論に依れば妄念を全て消すことによって、言葉の絶えた世界が見えるという。龍樹菩薩の中論によれば、戯論(言葉)を寂滅することによって涅槃に至るという。仏教はこの「あるがまま」に徹することで「人間以前」を確保しているのだと思う。確かに「あるがまま」は人間以前から存在している。
お釈迦様は「法(真理)」を作ったわけではない。発見しただけだ。例えば無常というのは誰でも認めなければいけない「人間以前」だろう。
この「人間以前」が言葉になったものを「南無阿弥陀仏」という。人間がこしらえたものではない。いろもかたちもないものが言葉になったものを「南無阿弥陀仏」という。これは無常と同じくお釈迦様が作ったものではない。
そういう設定でしょ?と言われれば、言い返す言葉もないのだけれど、こういう風に宗教は「人間以前性」の可能性を持っている。それなのに不勉強で「宗教は人間の作ったもの」と決めつけるのは、一種の宗教であると思う。
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