出世本懐
「ケツの穴だからというて卑下せんでもいい。足だからというてストライキやらんでもいい。頭が一番エライというのでもない。ヘソが元祖だというて威張らんでもいい。総理大臣が一番エライと思うているからオカシイ。目の代わりを鼻ではできぬ。耳の代わりを口はできぬ。みな天上天下唯我独尊である。————沢木興道」
親鸞聖人によると、釈迦の出世本懐、つまり生まれてきた意味は大無量寿経を説くためである。出世本懐とは、仏にしか使わないらしいが、沢木興道も言うように、僕らはみな天上天下唯我独尊である。釈迦の出世本懐は、無量寿経を説くこと。そして僕の出世本懐は、無量寿経を聞くことである。つまり南無阿弥陀仏を聞くことである。みな出世本懐を持っている。僕はここで「人それぞれ出世本懐を持っている」とは言いたくない。やはり、人間の出世本懐は、無量寿経を聞くことであると思う。梯実円和上は、娑婆は念仏に出遭う道場と仰っていた。
念仏で、人生を〆る。念仏者は、葬式が2回あるという。弥陀をたのんだときと、浄土へ帰るときである。ということは僕はこの世で自分の葬式をするために生まれてきたのかもしれない。心が死ぬ。一回死ななければ、本当に生きられない。
釈迦仏の出世本懐無量寿経僕は聞くのが出世本懐
親鸞聖人によると、釈迦の出世本懐、つまり生まれてきた意味は大無量寿経を説くためである。出世本懐とは、仏にしか使わないらしいが、沢木興道も言うように、僕らはみな天上天下唯我独尊である。釈迦の出世本懐は、無量寿経を説くこと。そして僕の出世本懐は、無量寿経を聞くことである。つまり南無阿弥陀仏を聞くことである。みな出世本懐を持っている。僕はここで「人それぞれ出世本懐を持っている」とは言いたくない。やはり、人間の出世本懐は、無量寿経を聞くことであると思う。梯実円和上は、娑婆は念仏に出遭う道場と仰っていた。
念仏で、人生を〆る。念仏者は、葬式が2回あるという。弥陀をたのんだときと、浄土へ帰るときである。ということは僕はこの世で自分の葬式をするために生まれてきたのかもしれない。心が死ぬ。一回死ななければ、本当に生きられない。
釈迦仏の出世本懐無量寿経僕は聞くのが出世本懐
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