考えられる
ネットの人間に宗教観を語られた。曰く「神は人々からの信仰心によって成り立っており、信仰されなくなり人々の記憶から忘れ去られた時神としての力を封印される何かしらのきっかけでまた信仰される事で復活するので神に明確な「死」は存在しないと考えている」
今まで聞いたことなくて、斬新な考え方だな、と思ったけど、根本的に思い違いをしていると思う。「宗教観」なる言葉がおかしいのかもしれない。宗教というのは、人間が神を考えるのではなくて、神が人間を考えるのだ。
僕がいくらない知恵絞って仏のことを考えても、絶対に救われない。だから法蔵菩薩が五劫の思惟をしたのであり、阿弥陀仏に「考えられた」いわば「見抜かれた」僕が救われるのである。
宗教に「ボクの考え」は必要ない。考えるのは、神であり仏である。
今まで聞いたことなくて、斬新な考え方だな、と思ったけど、根本的に思い違いをしていると思う。「宗教観」なる言葉がおかしいのかもしれない。宗教というのは、人間が神を考えるのではなくて、神が人間を考えるのだ。
僕がいくらない知恵絞って仏のことを考えても、絶対に救われない。だから法蔵菩薩が五劫の思惟をしたのであり、阿弥陀仏に「考えられた」いわば「見抜かれた」僕が救われるのである。
宗教に「ボクの考え」は必要ない。考えるのは、神であり仏である。
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