音
金子大栄師が願いの「ね」は「音」だと言っていた。それから何かと音ということについて考えている。
今朝、暗いうちに、自動販売機へジュースを買いに行った。雨が降っていたので、透明な傘をさしていった。歩いている間、トトトトトトトと、何かが走るような音がずっとしていた。山の木が揺れるばさばさという音もした。
「音」というものは、あるようでない、ないようである。有と無の境目にあるような気がする。今、カラスの鳴き声が聞こえたが、もうしなくなった。龍樹菩薩は有無の邪見を破して、空を証明したと言われているが、僕ら凡夫にとっては「音」が空のようなものなんじゃないだろうか。あるようで、ない、ないようで、ある。
「よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。」
ピタゴラスの教団では、宇宙に我々には聞こえない神の音楽が流れているという教説があったらしい。浄土では、常に妙なる音楽が流れているらしい。音というものは捕まえられない。
とりとめのないことを考えながら、トトトトトという音を聞きながら帰った。家の中は誰の声もなんの音もせず、キーボードをタッチする無機質的な音だけが響いている。
今朝、暗いうちに、自動販売機へジュースを買いに行った。雨が降っていたので、透明な傘をさしていった。歩いている間、トトトトトトトと、何かが走るような音がずっとしていた。山の木が揺れるばさばさという音もした。
「音」というものは、あるようでない、ないようである。有と無の境目にあるような気がする。今、カラスの鳴き声が聞こえたが、もうしなくなった。龍樹菩薩は有無の邪見を破して、空を証明したと言われているが、僕ら凡夫にとっては「音」が空のようなものなんじゃないだろうか。あるようで、ない、ないようで、ある。
「よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。」
ピタゴラスの教団では、宇宙に我々には聞こえない神の音楽が流れているという教説があったらしい。浄土では、常に妙なる音楽が流れているらしい。音というものは捕まえられない。
とりとめのないことを考えながら、トトトトトという音を聞きながら帰った。家の中は誰の声もなんの音もせず、キーボードをタッチする無機質的な音だけが響いている。
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