問題
僕は、問題意識のレベルがその人の思考のレベルを決めると思う。ハイデガーは「形而上学入門」の中で、「なぜ無ではなく、何かがあるのか」という問いが「等級」から言って最上の問いだと言っていたが、僕も哲学の問題ではそれが一番かもしれないと思う。ただ、哲学ではなく、自分の人生を考えるときに、「等級」から言って一番深い問いは「結局死ぬのになぜ生きるのか?」であると感じる。
他にも「高級」な問いはある。「どうすれば貧困をなくせるか?」「どうすれば民主主義を徹底できるか?」「物質とは何か?」「どうすれば、福祉とメンヘラを繋げられるか?」これらの問いも、「高級」だと思うが、僕の独断と偏見によれば、「最上級」の問いは「結局死ぬのになぜ生きるのか?」である。貧困をなくしても、結局みんな死ぬ。民主主義を徹底しても、結局みんな死ぬ。福祉があっても人間は死ぬ。
大いなる問いを持つこと。問いはいくつも持つことが可能だ。僕は「結局死ぬのになぜ生きるのか?」という問いの解決をしない、もしくは持ちもしない人生というのは虚しいと思う。もっと深い問いもあるのかもしれない。ただ僕は今のところ「結局死ぬのになぜ生きるのか」が深い問いだと思う。
答えはなくてもいいのかもしれない。深い問いを胸に秘めて生きること。人生は畢竟、大いなる疑問符だ。
母親によると、僕は昔から質問ばかりしていたらしい(空はなんで青いの?赤ちゃんってキスだけでできるの?)。大きい問いを持った、大きい人間になりたい。
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
他にも「高級」な問いはある。「どうすれば貧困をなくせるか?」「どうすれば民主主義を徹底できるか?」「物質とは何か?」「どうすれば、福祉とメンヘラを繋げられるか?」これらの問いも、「高級」だと思うが、僕の独断と偏見によれば、「最上級」の問いは「結局死ぬのになぜ生きるのか?」である。貧困をなくしても、結局みんな死ぬ。民主主義を徹底しても、結局みんな死ぬ。福祉があっても人間は死ぬ。
大いなる問いを持つこと。問いはいくつも持つことが可能だ。僕は「結局死ぬのになぜ生きるのか?」という問いの解決をしない、もしくは持ちもしない人生というのは虚しいと思う。もっと深い問いもあるのかもしれない。ただ僕は今のところ「結局死ぬのになぜ生きるのか」が深い問いだと思う。
答えはなくてもいいのかもしれない。深い問いを胸に秘めて生きること。人生は畢竟、大いなる疑問符だ。
母親によると、僕は昔から質問ばかりしていたらしい(空はなんで青いの?赤ちゃんってキスだけでできるの?)。大きい問いを持った、大きい人間になりたい。
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
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