信仰適正 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

信仰適正

 信仰ができない人はいるか?結論から言うと、いない。法蔵菩薩が「五劫の思惟」をして全ての人を助けるという願を立てて、その願はもう成就しているから。もし助かりたくなかったら、思惟中に「私だけは地獄に落としてくれませんかね…」と断りを入れるべきだった。それをしていない人は全員救われる。
 しかも真宗の信心は阿弥陀仏から賜るものなので、誰でも聴聞をしていれば信心を貰う事ができる。

 というのはまあ半分本気で半分冗談で、でも僕は全ての人は信仰できると思う。なぜか?それは僕ができたから。僕がいかに信仰適正のない男かを示そう。
 
・理屈っぽい
何かしらに理屈や理由がないと納得できない。だから6年間も哲学を勉強していた。屁理屈屋とよく言われる。
・頭がいい
正直バカな素直な人(褒めてる)はスッと信仰に入る人も多いと思う。そういう人も何人か見た。
・懐疑主義的な部分がある
岩波文庫で古代懐疑主義入門という本があるのだが、あの本が大好きだ。全てのことは疑うべきだし、だから西洋哲学をしていた。
・科学的教育を受けた
これが決定的かもしれない。しかも16歳という多感な時期にドーキンスの
「利己的な遺伝子」という科学的ニヒリズムに陥る本を読んだ。僕は今でもこの本が100パーセント正しいと思っているし、僕のニヒリズムはニーチェの言うキリスト教的ニヒリズムではなくて、進化論的ニヒリズムだ。
・某真理教のせいで宗教にいいイメージがなかった。
・宗教は弱くてバカな人がするものだと思っていた。特に自力仏教を学んでいる時は浄土真宗を見下していた。
・共同体とか群れるのが嫌い。だから僕は寺に一度も行ったことがない。

 本当に信仰適正がない。才能がない。でも入信できた。最近「自分はどうせ信仰できない」と言っている人とたまに出会うけれど、僕でもできたんだからできると思う。

 僕なりにその理由を考える。
 キリスト教は「信仰」ということについての定義がない。だからよくわからない。浄土真宗ははっきり定義されている「疑いあることなし」ということが信心だ。浄土真宗の信心は、「阿弥陀仏が必ず助けてくれる」という思いを作っていく足し算ではなくて、疑いを引いていく引き算だ。
 仏書を読んだり、聴聞をしていると、徐々に弥陀の光明によって(ほんとか?脳のどこかに影響してるだけじゃないのか?ほら、疑い深いでしょ)徐々に「はからい」がマイナスされていく。自分の科学的世界観に、「阿弥陀仏は必ず助けてくれる」という信念を足していくのではなくて、「南無阿弥陀仏(お前を助けるぞ)」に疑いがない状態にしていく。足し算ならば、自分の信念とバッティングすることもあるかもしれないが、本当に「南無阿弥陀仏」に疑いがなくなるというだけなので、特に信念とか関係ないと思う。
 僕でも信仰できたので、誰でもできると思う。信仰が欲しい人は、必ず手に入る。興味ない人や嫌いな人は別に信仰しなくていいけれど、「信仰してみたいけど自分なんかじゃ無理」と思っている人は参考にしてほしい。

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