死 | 人生入門

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短歌も書いてます
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アフォリズム体解
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信心入門
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詩入門
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小説 結構頻繁に更新します
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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

 たしかこんな話がある。
 釈尊が弟子に、「無常の風はいつ吹くか分かるか」と仰ったときにある弟子は「一か月後でしょうか」「違う」別の弟子は「来週でしょうか」「違う」別の弟子は「明日でしょうか」「違う」別の弟子は「次の呼吸を吸い込んだ時でしょうか」「我が意を得たり」
 人間は、自分は死なないと思っている。僕も思っている。人間が、自分の死に直面すると、今までの価値観が全て崩壊して、絶望の淵に立つ。そんな人間は生きていけないので、「俺は平均寿命までは生きる」という思考を持った人間が生き残って来たんだろう。
 この心をどうするかが問題で、僕は心の奥では「明日も死なずに本を読んでるだろう」と思っているが、死を毎日瞑想することで、「追いつめられること」ができた。哲学者の池田晶子が言っていたが、死は人間にとって一番重要なことなので、それを考えることを抜きにした人生は、本当に虚しい。
 僕が「死」をいくら連呼しても、恐らく生物学的にインプットされた「俺はまだ死なない」に跳ね返される。しかし「俺はまだ死なない」をぶち壊して「俺は近いうちに死ぬ」にしないと、「本当」の人生が見えてこない。ハイデガー風に言うと、死を自覚することで、自分の有限性を自覚することができて、有象無象の可能性を捨てて、本当の自己を生きられるようになる。
 だが「死を自覚すること」など不可能だ。初期仏教に死随観というのがあるが、それは腐っていく死体を毎日観察し続けるという瞑想だ。それぐらいやって、ようやく死を自覚することができる。普通に生きてて死を自覚することなど不可能だ。
 人間は死を自覚しなければならない。ハイデガーもそう言っている。ただ生物学的な防衛反応のせいで、死を自覚することは本当に難しい。壊れない。

 死を本当に自覚できるのって、身近な人の死、ぐらいだろうか。僕の「お前は死ぬ」はどこにも届かない。僕にも届いてない。僕は明日も生きてるだろう、と思っている。VR技術で、死ぬ体験などができるようになることを願う。

 友達に、死は何色か、と聞いたら「真っ白」と答えていた。僕と正反対だった。その友達は宗教嫌いなんだけど、死は救いだと思っている節がある。確かに死が白いならば、救いかもしれない。僕も今は死を光でイメージするようになった。死というのは「色」がある。多分みどり色だという人はいないだろう。青色という人はいるかもしれない。死には色がある。極楽には物凄く心地よい音楽が流れているそうだ。死は楽しい。プラトンやモンテーニュは哲学は死の修練と言っているが、本当の意味で死と仲良くなることが、安心に繋がるのだと思う。死には色があって、音があって、名前もつけたらいいんじゃないか。しーちゃん。
 みんなに死というものを考えて欲しい。あまりにもみんな平然と「生」きている。僕は人に宗教は押し付けないけれど、「死」の押し売りはしたい。
 

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