返報性の法則 自力
返報性の法則というものがある。確かドーキンスの利己的な遺伝子にも載っていたが、いいことをしてくれた仲間にはいいことをして、悪いことをされた相手には悪いことをするという原理が、自然界の自然淘汰で生き延びてきた戦術らしい。
もちろん人間にもこの法則は当てはまる。試食コーナーで食べさせてから、相手に恩を売って商品を買わせる、最初に聖書を無料で配布して、集会に来させる、お中元を贈りあう。年賀状を貰ったら、返さないとなんか気持ち悪いだろう。それを返報性の法則という。
浄土真宗は、他者からの絶対の贈与がある。それしかない。「永遠の命」というこの世で一番重要なものを「無料」で貰う。これは「気持ち悪い」。これが自力なのだと思う。
今日はキリスト教の本を読んだのだけれど、キリスト教では神は恐ろしくて、そこまで「人間に都合よく」ない。だから、難信ではないのだと思う。人間にも何か「お返し」する余地がある。イスラム教の律法などもそうだろう。「これをしてるから助けてください」という返報性が成り立っている。
浄土真宗は「善をしたら救う」でもない。「念仏したら救う」でもない。「そのまま」救う。キルケゴールの死に至る病に、キリストを信じるのは貧乏人が王様から娘を貰うようなものだ、と書いてあったが、それより「一方的な贈与」だと思う。だから受け取れない。計らってしまう。
「そのまま救う」を最初から受けとれる人なんていないのだろう。それはあまりにも「重すぎる」。永遠の命をタダで貰う。けれど、それは心理学的、生物学的に、いやいやそれは…、となってしまう。この計らいを聴聞でとってもらう。というか、信じるのが不可能だから、信心すらも阿弥陀仏から頂く。そうすれば、永遠の命を貰った上で、報謝の念仏ができるようになる。
もちろん人間にもこの法則は当てはまる。試食コーナーで食べさせてから、相手に恩を売って商品を買わせる、最初に聖書を無料で配布して、集会に来させる、お中元を贈りあう。年賀状を貰ったら、返さないとなんか気持ち悪いだろう。それを返報性の法則という。
浄土真宗は、他者からの絶対の贈与がある。それしかない。「永遠の命」というこの世で一番重要なものを「無料」で貰う。これは「気持ち悪い」。これが自力なのだと思う。
今日はキリスト教の本を読んだのだけれど、キリスト教では神は恐ろしくて、そこまで「人間に都合よく」ない。だから、難信ではないのだと思う。人間にも何か「お返し」する余地がある。イスラム教の律法などもそうだろう。「これをしてるから助けてください」という返報性が成り立っている。
浄土真宗は「善をしたら救う」でもない。「念仏したら救う」でもない。「そのまま」救う。キルケゴールの死に至る病に、キリストを信じるのは貧乏人が王様から娘を貰うようなものだ、と書いてあったが、それより「一方的な贈与」だと思う。だから受け取れない。計らってしまう。
「そのまま救う」を最初から受けとれる人なんていないのだろう。それはあまりにも「重すぎる」。永遠の命をタダで貰う。けれど、それは心理学的、生物学的に、いやいやそれは…、となってしまう。この計らいを聴聞でとってもらう。というか、信じるのが不可能だから、信心すらも阿弥陀仏から頂く。そうすれば、永遠の命を貰った上で、報謝の念仏ができるようになる。
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