生きてるだけで偉い 360度 | 人生入門

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生きてるだけで偉い 360度

 「そのままの君でいいんだよ」系の言説で溢れている。「生きてるだけで偉い」という言葉がネットで流行っている。けれどもそれをいちいち「言葉」にしないといけないということは、みんな生きてるだけで偉いとは思えていないということだ。自分に、他人に、言い聞かせているような気がしてならない。

 唐突だが、唐代の禅の話をする。馬祖という偉い禅僧がいたんだけれど、その禅僧は「即心是仏」とか「平常心是道」とか説いた。その身そのままが仏であって、悟りなど開く必要はない。ただ「無事」であればいい。これは精神力の強い人ならばそう思い込めたかもしれないが、やはり「体験」がないとそうは思えないと思う。平安時代にはやった本覚思想(本来みな仏なのだから何をしてもいい)という堕落も招く思想だと感じる。
 この馬祖を批判したのが石頭という人で、この人は見性の重要性を説いた。石頭も「あるがまま」が悟りの境地だということは認めるが、無明(0度)→見性(180度)→平常心(360度)というあるがままが悟りだと説いた。一度、全てが無分別=完璧だということを悟り、それから日常に帰ってくる。これで本当に「生きてるだけで偉い」が完成する。

 今度は日本の鎌倉浄土教を見る。一遍上人は「信不信を論ぜず」と言って、阿弥陀仏を信じなくても浄土へ往生できると説いた。これは馬祖の禅に比較できると思う。けれどもそれは、観念的なものにとどまらないだろうか?現に信じてない人が、「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、生きてるだけで偉いと思えるだろうか。先ほどの比喩で言えば、ずっと0度の場所にいる。0度の場所からいくら生きてるだけで偉いと言っても、言い聞かせることにしかならないと思う。
 親鸞の浄土真宗はどうか。これは「信の一念」を大事にする。これは先ほどの比喩で言うと、180度に当たる部分だと思う。信心を得ることで、阿弥陀仏が自分を離れておらず、全肯定していることを知り、360度に回帰する。

 偉い仏教者の曽我量深という学者は、晩年、しきりに「平常心是道」と言っていたらしいが、それは一遍的(そして現代日本のメンタルヘルス的)な観念の「生きてるだけで偉い」ではなくて、180度を通った360度だったと思う。

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