霊性
別に布教使になろうと思っているわけでもないんだけれど、信仰を、合理主義的で唯物主義的で虚無主義的な現代人に、どうやったら分かってもらえるのかを考えている。いや、ただ僕が「怪しいこと」をしていると思われるのが嫌で、言い訳したいだけなのかもしれない。信仰というのをこう考えたらどうか、というのを示したい。
人間には霊性がある。この時点でアウトな人にはアウトだろうけれど、虚無主義者と信仰者を繋ぐのは「霊性」という言葉しか、僕は今のところ知らない。霊性とは何か。鈴木大拙は「知性と感性の奥にあるもの」と言っているが、悟ってない僕たちにはよく分からない。僕は、西行がお伊勢参りしたときに詠んだ、この歌が一番分かりやすいと思う。「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
神社へ行ったとき、葬式に参列したとき、友達が自殺したとき、聖書をめくったとき、純文学を読んだとき、死んだ親族のことを考えるとき、「何か」を感じる。この「何か」を僕は霊性と呼びたい。僕は「何か」を感じる。怪しい話をしてるだろうか?
人間にはこの「何か」、つまり霊性を感知する能力がある。この能力の核を抽出して、この霊性を感知する能力を高める、開花させるのが信仰である。ある妙好人の法語に「 とにかく お慈悲の力は ぬくいでなあ」というのがある。この「霊性」にひたりっきりになれるのが、信仰である。
あえて神仏のあるなしは問題にせずに書いてきた。そこを問題にすると、科学主義の現代人には受け取ってもらえない。ただ、僕は、霊性のある生活のほうが、精神的に豊かな生活であるとは思う。
信仰というのは、霊性をギュッと固めた饅頭である。
人間には霊性がある。この時点でアウトな人にはアウトだろうけれど、虚無主義者と信仰者を繋ぐのは「霊性」という言葉しか、僕は今のところ知らない。霊性とは何か。鈴木大拙は「知性と感性の奥にあるもの」と言っているが、悟ってない僕たちにはよく分からない。僕は、西行がお伊勢参りしたときに詠んだ、この歌が一番分かりやすいと思う。「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
神社へ行ったとき、葬式に参列したとき、友達が自殺したとき、聖書をめくったとき、純文学を読んだとき、死んだ親族のことを考えるとき、「何か」を感じる。この「何か」を僕は霊性と呼びたい。僕は「何か」を感じる。怪しい話をしてるだろうか?
人間にはこの「何か」、つまり霊性を感知する能力がある。この能力の核を抽出して、この霊性を感知する能力を高める、開花させるのが信仰である。ある妙好人の法語に「 とにかく お慈悲の力は ぬくいでなあ」というのがある。この「霊性」にひたりっきりになれるのが、信仰である。
あえて神仏のあるなしは問題にせずに書いてきた。そこを問題にすると、科学主義の現代人には受け取ってもらえない。ただ、僕は、霊性のある生活のほうが、精神的に豊かな生活であるとは思う。
信仰というのは、霊性をギュッと固めた饅頭である。
コメントを書く...
Comments