人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 短歌も書いてますhttps://www.utayom.in/users/9552哲学書読書計画今まで読んだものプラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー今年と来年中に読むものハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン再来年中に読むものイタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース
生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 

短歌も書いてます
https://www.utayom.in/users/9552

哲学書読書計画
今まで読んだもの
プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー

今年と来年中に読むもの
ハイデガー 西田幾多郎 カント フィヒテ シェリング ヘーゲル ショーペンハウアー ニーチェ バタイユ ベルクソン

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ メルロ・ポンティ サルトル レヴィナス ヤスパース

母親が生きていてつらい

 僕の母親は、去年の6月に火葬された。当時、父親に「人間って死んだらどうなると思う?」と聞くと「それは分からんけど、母さんはみんなの中に生きてると思うよ」と言われた。
 みんなの「中に」とは一体どういう意味だろう。脳みその海馬の中に母親の記憶ニューロンができているということか?それとも箱のような「主観」の中に存在しているということか?
 
 僕にとって今、母親は、「表象」ではないと思う。イメージではない。それは「感じる」ものだ。例えば、僕は靴を揃えるのが習慣だったので、母親にいつも褒められていた。だから散歩から帰ってきて靴を揃えていると、そこに母親が「いる」。死者はどこに存在しているのか。僕は「記憶の部屋」だけではないと思う。僕と靴の「あわい」に存在しているのだと思う。

 現に、物質として現れることもある。犬を打とうとしていた友人にピュタゴラスが、「待て、その犬は前世では君の父親だった」と言ったという逸話は有名だけれど、死者がこのように生命として現れることもある。僕が前に書いた短歌。
珍しき蝶を見るたび母想うあっちにもいたこっちにもいた


 どこにもいないということは、どこにでもいるということだ。母さんは僕の「中」に生きてるのでもないし、仏壇の中にいるのでもないし、墓の中にいるのでもない。いや、その全部に生きているといってもいいかもしれない。抗がん剤を見るたびに、母親の声がする。それは、箱のような「主観」でもないし、科学的な「客観」でもないところからの声だと思う。

 花びらは散っても花は散らない。

 母親が生きているのを感じると、母親が死んだことを思い出す。母親が生きていてつらい。でも僕が死ぬまでずっと生きててね。死んだら、お浄土で会おうね。