ハイデガー 雑にまとめる
マイケルゲルウィンの存在と時間注解と、轟氏の存在と時間入門を最近読んだ。その他諸々、はるか昔に読んだハイデガーの解説書を思い出しながらめちゃくちゃ雑にまとめる。存在と時間通読する用。
哲学は存在への問いを忘れてしまった。普遍的であり、定義不可能であり、自明である存在という先入見によって、問われるのを忘れてしまった。だからハイデガーが問う。
現存在=人間は、存在への漠然とした了解を持っているので、この現存在に存在の問いは問うべきであり、まずこの存在の存在体制を明確にしなければならない。だから現存在の実存を明らかにする。
近代哲学は、世界を事物的=科学的に把握したことで間違えてしまった。世界は人間の目的によって、「道具的」に構成されている。
被投性=気分に人間は彩られている。不機嫌や恐怖など。これが人間に向かっていやおうなく投げかけられる条件である。その中でも重要なのは「不安」であり、不安によって、頽落して、日常性に生きている状態が剥がれ落ちて、自分の真の生き方をすることができる。
企投、了解とは、その気分に開示された世界の可能性を了解しながら、非措定的に自分の将来に関わっていくということである。
死を先駆けることによって、人間は「単独者」になり、不安になる。大衆に紛れた頽落性、非本来性から抜け出して、本来的実存が回復される。
存在とは時間であり、現存在は将来へ企投され続けているし、既在のものに、囚われている。
これぐらい雑にしか理解してない。ちゃんと存在と時間読むぞ〜
哲学は存在への問いを忘れてしまった。普遍的であり、定義不可能であり、自明である存在という先入見によって、問われるのを忘れてしまった。だからハイデガーが問う。
現存在=人間は、存在への漠然とした了解を持っているので、この現存在に存在の問いは問うべきであり、まずこの存在の存在体制を明確にしなければならない。だから現存在の実存を明らかにする。
近代哲学は、世界を事物的=科学的に把握したことで間違えてしまった。世界は人間の目的によって、「道具的」に構成されている。
被投性=気分に人間は彩られている。不機嫌や恐怖など。これが人間に向かっていやおうなく投げかけられる条件である。その中でも重要なのは「不安」であり、不安によって、頽落して、日常性に生きている状態が剥がれ落ちて、自分の真の生き方をすることができる。
企投、了解とは、その気分に開示された世界の可能性を了解しながら、非措定的に自分の将来に関わっていくということである。
死を先駆けることによって、人間は「単独者」になり、不安になる。大衆に紛れた頽落性、非本来性から抜け出して、本来的実存が回復される。
存在とは時間であり、現存在は将来へ企投され続けているし、既在のものに、囚われている。
これぐらい雑にしか理解してない。ちゃんと存在と時間読むぞ〜
コメントを書く...
Comments