真理 折伏 | 人生入門

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真理 折伏

 日蓮系の仏教では、よく「折伏」というものが行われる。相手の考えが間違えてるから、(時には強引に)論破して、相手を法華経の信者にさせるという勧誘方法である。僕はこれが大嫌いである。真宗系の〇〇会もこれをやっているらしいけれど、創価学会の手法をまねて布教しているらしいので、さもありなん、という感じだ。インターネットで折伏の様子を見る事ができるけれど、正直怖い。「自分が絶対に正しい」という前提にたって、「相手のために」相手の信じている宗教の揚げ足を取ってボロクソに言う。僕は宗教のこういうところが嫌いだ。キリスト教も同じ論理だろう。「野蛮な犬」である異教徒は、改宗させるか、殺すしかない。そういう蛮行が歴史上にいくつもある。イスラム教は他宗教に寛容だったらしいけれど。
 「自分が正しいから相手を正さなければならない」というのが行きつくと、後期チベット密教の、この最悪の結論が導き出される。「度脱、すなわち呪殺の行為は、利他行である。救済しがたい粗野な衆生を利益する、まさに仏の大慈悲である」某真理教が、「ポア」をしたのは、まさにこの論理である。
 この論理は、宗教の世界だけではない。「俺は反出生主義という真理を知っているから、馬鹿な出生主義者共を更生させなければならない」「私は目覚めたフェミニストだから、男社会に洗脳されている可哀そうな女を目覚めさせなければならない」「俺はハイデガー主義者で、実存的に生きているから、頽落している大衆とは違う」「俺は韓国の真実を知っている。これを何も知らない大衆に広めなければ」いくらでもある。
 
 仏教では、自分の考えは「見」といって、捨てなければならないものとされる。この「見」を全て捨てることによって、世界を「あるがまま」に見ることができるようになったのが聖者だと言っていいかもしれない。
「よう『ボクの考えでは』とエラソウにいいおるが、ボクの考えなんか、どうせダメなんじゃ。-黙っとれ。—————沢木興道」

 仏教は「主義」を持たないのが特徴である。大乗仏教は多仏の世界であり、それもまあ一つの「真如」「あるがまま」に収斂されるのだと思うけれど、いろいろな仏がいる、リベラルな世界と言っていいかもしれない。その「あるがまま」から出てくるのが「南無阿弥陀仏」である。それも「見」では?と思う人もいると思うが、そういう人は法蔵菩薩の48願を読んでほしい。
 金子大栄という近代の偉い念仏者は、科学にも仏があり、芸術にも仏があるという。そして、阿弥陀如来の四十八願の中の、四十一願以降の「他方国土の諸菩薩衆に〇〇の功徳がありますように」という願を「他宗教」の人や哲学、芸術で真理を求めている人への願だと解釈している。他の宗教のことも尊重して、幸福を願う阿弥陀仏という仏には、本当に頭が下がる。
 たしか村田和上という偉いお坊さんが「キリスト教とか他の宗派の勢いも強いですけどどうしたらいいですか」と門徒に問われたところ、「お前が念仏をしてたらそれでいい。勝手に広まる。」と答えたらしい。真理というのは、「折伏」しなくても、勝手に広まるものだと思う。

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