低俗 高級
僕は凡夫である。なんの才能もないし、高級な趣味もないし、心の中も腐っている。本当に「普通」の人であると思う。高級か低俗かで言ったら、低俗な人間である。小学生レベルの下ネタが大好きだし、好きなお笑い芸人はハリウッドザコシショウだ。
だから、「高級」な人の気持ちが、全然分からない。インターネットには、「高級」な人がよくいる。「言葉に呪われている詩人」や、「詩がないと生きていけない詩人」、「心の裡を静めるために、三島由紀夫を読む歌人」、「後期ハイデガーの感想を書く人」など、「高級」な人がうじゃうじゃいる。僕はこれらの人が全く理解できないし、端的に「嘘つき」「見栄っ張り」だと思ってしまう。
現代日本では、詩や文学、哲学というのは「高級」なものだと思われているが、数十年前〜100年前などは、全然違ったらしい。吉本隆明が言うには、詩人など落ちぶれた社会不適合者がやるものだと思われていたし、岩波新書のエピクテトスを書いてる著者は、父親に哲学をしたいと言ったら「坊さんになるんじゃないんだから」と言われて笑われたらしい。「高級」というのは、社会的な産物だろう。その「高級」な趣味を身に着けて、インターネットで見せびらかすのは、死ぬほど「下品」だと思うんだけれど、どうだろうか。
ピエール・ブルドゥーが言うには、社会の階級によって、様々な文化資本やハビトゥス(慣習)があるらしい。だから、上級国民の皆さんは、「言葉に呪われている詩人」であったり、「後期ハイデガーの考察をする人」であるのが当たり前であるのかもしれない。けれど低俗でどうしようもない僕は、それは嘘なんじゃないかなあと思ってしまう。「もう、そういうのいいから…」と思ってしまう。
現代日本で高級だとされている趣味をあえて選ぶのは、死ぬほど下品だと思う。詩がないと生きていけない人間なんて、存在しないだろう。大衆が近代的な詩を嗜むようになって、まだ100年もたってないだろう。早く自己欺瞞に気づいてほしい。僕は「高級」な人間など、いないと思う。僕は、飾っている人間が一番嫌いだ。
だから、「高級」な人の気持ちが、全然分からない。インターネットには、「高級」な人がよくいる。「言葉に呪われている詩人」や、「詩がないと生きていけない詩人」、「心の裡を静めるために、三島由紀夫を読む歌人」、「後期ハイデガーの感想を書く人」など、「高級」な人がうじゃうじゃいる。僕はこれらの人が全く理解できないし、端的に「嘘つき」「見栄っ張り」だと思ってしまう。
現代日本では、詩や文学、哲学というのは「高級」なものだと思われているが、数十年前〜100年前などは、全然違ったらしい。吉本隆明が言うには、詩人など落ちぶれた社会不適合者がやるものだと思われていたし、岩波新書のエピクテトスを書いてる著者は、父親に哲学をしたいと言ったら「坊さんになるんじゃないんだから」と言われて笑われたらしい。「高級」というのは、社会的な産物だろう。その「高級」な趣味を身に着けて、インターネットで見せびらかすのは、死ぬほど「下品」だと思うんだけれど、どうだろうか。
ピエール・ブルドゥーが言うには、社会の階級によって、様々な文化資本やハビトゥス(慣習)があるらしい。だから、上級国民の皆さんは、「言葉に呪われている詩人」であったり、「後期ハイデガーの考察をする人」であるのが当たり前であるのかもしれない。けれど低俗でどうしようもない僕は、それは嘘なんじゃないかなあと思ってしまう。「もう、そういうのいいから…」と思ってしまう。
現代日本で高級だとされている趣味をあえて選ぶのは、死ぬほど下品だと思う。詩がないと生きていけない人間なんて、存在しないだろう。大衆が近代的な詩を嗜むようになって、まだ100年もたってないだろう。早く自己欺瞞に気づいてほしい。僕は「高級」な人間など、いないと思う。僕は、飾っている人間が一番嫌いだ。
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