狩り 退屈 虚栄 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

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西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

狩り 退屈 虚栄

 人間が、根源的になくしてしまったものは、「狩り」であると思う。文字通りの意味で、「狩り」がなくなったせいで、病んでしまったのが、人間という動物である。パスカルは、人間はビリヤードでも将棋でも仕事でもなんでもいいから、「気晴らし」をしないと、自分自身の「虚しさ」に耐えられなくなる、人間に向いてない仕事は一つだけ、それは部屋の中にじっとしていることだ、という主張をしているが、引きこもりである僕にはこれらの主張は真であると身にしみてわかる。気晴らしのない、不眠症の夜、「人間はどこから来てどこへ行くのか」という「病気」が脳みそに憑りついて、人間は不幸になる。人間は、エサを確保するために、命をかけた「狩り」をする必要がなくなってしまった。農耕革命以後、食料は備蓄されるようになり、人間には「暇」ができた。
 暇な人は何を始めたかというと、哲学や宗教を始めた。「退屈」に殺されないように、「頭の中」で「狩り」を始めたといっていいかもしれない。僕はこの「退屈」に対する一番誠実な応答は、「坐禅」であると思うが、瞑想の文化がなかった西欧などは、信仰をした。信仰も、「退屈」から訪れる「虚無感」から逃れるのには、うってつけの特効薬である。気晴らしに、ゲームをしたり、本を読んだり、仕事をしたりしても、また退屈になれば、虚無が襲ってくる。この虚無を根底から癒すのが、信仰であった。
 狩猟文化から、農耕文化に移行した際に発生した、「退屈」こそ、全ての始原であると思う。始めに退屈ありき。退屈をどう潰すかが、人間の大きな宿命になった。
 本能的に、快いことをすれば、退屈はおさまる。それこそ昔の貴族などは「狩り」をしていたし、本能的に暇をつぶす行為といえば、セックスだろう。それでも暇な人はまだ暇だ。僕は、この「暇つぶし」に、現在の人間が一番重きを置いているのは、「名誉心」だと思う。
 近場でも、遠くの人にでも、誰かから認められたい。偉くなりたい。褒められたい。だから、表現をしたり、スキルを磨いたりする。名誉心というのは多分、生物学的な根拠があるんだろう。名誉心というのは、男性に強いものだから、多分、雄のボス猿になると、メス猿と多く交尾ができるようになる、みたいな感じなんだろう。名誉という「狩り」をして、退屈を潰す。
 3つの狩りがある。
・まず、狩りを「しない」という宣言である「坐禅」
・狩りをする「動機」である「退屈からの虚無感」を根底から癒す「信仰」
・快楽を狩ったり、名誉を狩ったりする「弱い狩り」
 僕は3番目の狩りでは、人間は癒えないと思う。病気のままであると思う。名誉心という本能を使った「遊び」では、人生は本当に虚しい。
虚栄はかくも深く人間の心に錨をおろしているので、兵士も、従卒も、料理人も、人足も、それぞれ自慢し、自分に感心してくれる人たちを得ようとする。そして哲学者たちでさえ、それを欲しがるのである。また、それに反対して書いている人たちも、それを上手に書いたという誉れがほしいのである。彼らの書いたものを読む人たちは、それを読んだという誉れが欲しいのだ。そしてこれを書いている私だって、おそらくその欲望を持ち、これを読む人たちも、おそらく・・・・・・—————パスカル

 

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