間引き
間引き(まびき)とは、元来は植物を栽培する際、苗を密植した状態から、少数の苗を残して残りを抜いてしまう作業のことである。 転じて、増えすぎたとされるものを人為的に減らす意味で使われ、生まれた子供をすぐに殺すことに使われた例もある。 これについては子殺しを参照。
YouTubeの真宗の法話で聞いた話なんだけれど、アメリカの日系人には、広島から来た人が多いらしい。結構深いわけがある。
江戸時代か明治時代あたり、生まれてきた子供は普通に間引きされることが多々あったらしい。増えすぎた子供や、障碍者は「いらない」から。これは現代でも同じような問題が起きている。今は科学の進歩でダウン症の出生前診断ができるようになったんだけれど、ダウン症だと診断された子供の9割が中絶の悲劇にあっているらしい。現代でも間引きは行われている。
それに対して、広島県では間引きされる子供の数が少なかったらしい。それは、広島県は真宗の信者が多く、生まれてきた子供は「仏の子」で、「南無阿弥陀仏に出会うために生まれてきた」と考えられたから、らしい。けれど、現実問題、養うことのできない子供は、アメリカへ送られた。だから、現代でもアメリカの日系の人は、その時の子供や孫が多い。
これを聞いて、本質的なエピソードだと思った。僕らは本質的に「間引き」されてもしょうがない存在なのだと思う。両親に「なんで僕のこと産んだの?」と聞いたとき、「欲しかったから」「本能だから」という悲しい回答をされた。
「間引き」という概念を少し広げて、「人口が増えすぎて困るという理由で、他者のために死ぬこと」と定義しよう。そうすると、人間はみな間引きされることになる。進化論的に言えば、人間は、進化するため&次世代のリソースを残すために、死ぬ。つまり、子どものために、間引きされる。これは江戸時代に間引きされた子供と、時間差があるだけで、何も変わらないと思う。江戸時代の子供は、親のために間引きされる。現代に生きる人は、次世代のために間引きされる。
こういったニヒリズムの空間の中で子供を産むのは、間引きするのと同じだ。これを超えた思想を持った人だけが、子供を作るべきだと思う。
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