人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です
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無知の知

 知識を得る究極の目的は「歴史上の偉人も何も知らなかったし、自分も何も知らない」ということを悟ることだと思う。知識を積んでも、時間がなんなのか分からないし、存在がなんなのか分からないし、物質がなんなのか分からないし、観念がなんなのか分からないし、宇宙がなんなのか分からないし、自分がなんなのか分からないし、心がなんなのか分からないし、人生とはなんなのか分からない。これに答えが出せたらノーベル賞どころではないだろう。これらは人類にとって永遠の謎なのだと思う。
 だから僕は「理論」というものが嫌いで、そんなものを「武器」にしだしたらおしまいだと思ってしまう。どの理論を選ぶかは自分の「欲望」が決めていて、その欲望こそを問題にしなければならない。生きる上での処世術にはなるかもしれないが、それ以上でもそれ以下でもない。そしてそんなものは真善美とは全く関係がない。

 僕の云う事はいっつも身もふたもない。でも人生って身もふたもないんだと思う。

 けれども「無知の知」に安住することは、それはそれで下品だ。「俺は何も知らないことを知っている」という知的なポーズをとり続けるのは滑稽な冷笑主義というか、誠実ではないというか、そんなところに留まるのは「面白くない」
 だからソクラテスは「無知の知」を標榜しながら対話を続けたのだろうし、当時の日本で一番学識があったであろう法然上人は、愚痴の法然房と自称して、究極の智である仏に帰依したのだと思う。
 「無知の知」は到達点であり、出発点である。そこにとどまってはいけない。