反面教師
「生きて死ぬ」ということだけが真理で、あとのことはどうでもいい、虚しいことである。これは絶対的真理であり、これ以上にはもう何も言うことがない。結局死ぬので何もかも虚しい。これ以上の真理はないし、これにつけたすことは何もない。
という認識に至っている人はたくさんいるだろう。100人に1人ぐらいはこの真理を身をもって知ってるんじゃないかと思う。本を書く人間でいうと、中島義道や南ジキサイはハッキリこの真理を「身に染みて」分かっている。
文豪のトルストイもこの真理が頭から離れなくなった人で、トルストイは人間をこのように分類している。
僕は1ではない。2はつまらない。一度やったがつまらなかった。3は僕はとらない。大体の人は4だ。ぐずぐずと生きて、何もかも虚しいと言って死んでいく。僕は中島義道や南ジキサイを反面教師として見ている。これらの人々はまさしく4だ。僕は絶対にこうはなりたくない。この生き方を選んだ途端、今から死ぬまでの間、ずっと「虚しくぐずぐずする」以外に人生がなくなる。あまりに面白くない。
僕は信仰をしようと思ったけれど、カミュが盲信は哲学的自殺だと言ったように、4の人から見れば僕は「逃げた」と思われるかもしれない。逃げでもなんでもいい。
僕は別に自分の信仰したものが間違いであってもいい。ただ4だけは嫌だった。あまりに面白くないから。信仰は主観的な実験だ。人生は実験場にしなければならない。そういう意味で4の生き方はなんの実験にもならない。死ぬまで死んだように生きるのが目に見えている。
人生が無意味であることを知らないのはあまりにもアホだ。それを誤魔化して快楽に耽るのはあまりにもつまらない。自殺もあんまりおもしろくない。ぐずぐず生きるのはクソ面白くない。反面教師には凄く感謝している。
という認識に至っている人はたくさんいるだろう。100人に1人ぐらいはこの真理を身をもって知ってるんじゃないかと思う。本を書く人間でいうと、中島義道や南ジキサイはハッキリこの真理を「身に染みて」分かっている。
文豪のトルストイもこの真理が頭から離れなくなった人で、トルストイは人間をこのように分類している。
第1は、。
「無知無識の道」。「人生が無意味であることを知らない人たち」だ。
第2に快楽主義。
「人生に望みのないことを知りつつも、真実を直視せず、享楽にふけっている人々」だ。
第3は自殺。
「生が悪であり、無意味であることを知り、自分で自分を絶滅してしまう」のだ。
トルストイは、「強いしっかりした性格の少数の人が、こういう生き方をする」と言い、彼自身もひきつけられたが、彼にはまだ、そこに突入するまでの絶望感はなかった。
第4は、弱気の生き方。
「すべてを知りながら、自殺する力もなく、ぐずぐずと、ただ生きている人たち」だ
僕は1ではない。2はつまらない。一度やったがつまらなかった。3は僕はとらない。大体の人は4だ。ぐずぐずと生きて、何もかも虚しいと言って死んでいく。僕は中島義道や南ジキサイを反面教師として見ている。これらの人々はまさしく4だ。僕は絶対にこうはなりたくない。この生き方を選んだ途端、今から死ぬまでの間、ずっと「虚しくぐずぐずする」以外に人生がなくなる。あまりに面白くない。
僕は信仰をしようと思ったけれど、カミュが盲信は哲学的自殺だと言ったように、4の人から見れば僕は「逃げた」と思われるかもしれない。逃げでもなんでもいい。
僕は別に自分の信仰したものが間違いであってもいい。ただ4だけは嫌だった。あまりに面白くないから。信仰は主観的な実験だ。人生は実験場にしなければならない。そういう意味で4の生き方はなんの実験にもならない。死ぬまで死んだように生きるのが目に見えている。
人生が無意味であることを知らないのはあまりにもアホだ。それを誤魔化して快楽に耽るのはあまりにもつまらない。自殺もあんまりおもしろくない。ぐずぐず生きるのはクソ面白くない。反面教師には凄く感謝している。
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