物語 夢 相対性
最近「serial experiments lain」というアニメ、ゲームを見ている。面白いので感想をブログに書くと思う。
それは置いといて、僕は基本的に「物語」というのが苦手で、アニメも小説も映画もマンガもほとんど見ない。ゲームもストーリー物は全くしない、作業ゲーや淡々と同じような対戦を繰り返すゲームばかりしている。
好きなのはカフカとかカミュとか阿部公房とかデヴィッドリンチみたいな、淡々と無意味な描写が繰り広げられる作品で、それらの作品は面白くないからいい。僕は「面白い物語」を見るとつらくなってしまう。駄作を見てもイライラするけれど、面白すぎる作品を見ると心臓がバクバクして頭がカーッとなって「生きててよかったー!」「おもしれー!サイコー!」ってなる。それがつらい。刺激が強すぎる。
元カノとは映画をたまに見に行ってたんだけれど、映画が終わったあとの何とも言えない寂寥感というものについて話し合ったことがある。その時僕は、映画という強烈な物語に没入していた経験によって、現実のこの自分の人生という物語が相対化されてしまうからじゃないかな、と言った。映画もこの人生も「夢」「仮想現実」ということは同じなので、別の強烈に面白い「夢」を見ることで、絶対的だと思っていた「この」夢が相対化されてしまい、地盤がなくなってしまう。面白い夢が終わったという寂しさもあると思うけれど、僕は自分の人生=夢という絶対的な物語が相対化されることによって虚しくなるのだと思う。すくなくとも僕はそうだ。
なんか最近、離人症なのかな…。全部が夢に思える。死ぬまでこうだったらいいなあ
それは置いといて、僕は基本的に「物語」というのが苦手で、アニメも小説も映画もマンガもほとんど見ない。ゲームもストーリー物は全くしない、作業ゲーや淡々と同じような対戦を繰り返すゲームばかりしている。
好きなのはカフカとかカミュとか阿部公房とかデヴィッドリンチみたいな、淡々と無意味な描写が繰り広げられる作品で、それらの作品は面白くないからいい。僕は「面白い物語」を見るとつらくなってしまう。駄作を見てもイライラするけれど、面白すぎる作品を見ると心臓がバクバクして頭がカーッとなって「生きててよかったー!」「おもしれー!サイコー!」ってなる。それがつらい。刺激が強すぎる。
元カノとは映画をたまに見に行ってたんだけれど、映画が終わったあとの何とも言えない寂寥感というものについて話し合ったことがある。その時僕は、映画という強烈な物語に没入していた経験によって、現実のこの自分の人生という物語が相対化されてしまうからじゃないかな、と言った。映画もこの人生も「夢」「仮想現実」ということは同じなので、別の強烈に面白い「夢」を見ることで、絶対的だと思っていた「この」夢が相対化されてしまい、地盤がなくなってしまう。面白い夢が終わったという寂しさもあると思うけれど、僕は自分の人生=夢という絶対的な物語が相対化されることによって虚しくなるのだと思う。すくなくとも僕はそうだ。
なんか最近、離人症なのかな…。全部が夢に思える。死ぬまでこうだったらいいなあ
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