自殺 | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

自殺

 スカイプの女に「自殺したい」と言ったら「死にたいなら死んだほうがいいよ 背中押してあげる」と言われた。ハッキリ言って気色が悪い。別に間違ったことは言ってない。「自分と関係ない奴は死んでもいい」と思ってる根性が気色が悪い。気色が悪いというか、気味が悪い。理解できない。

 昔、友達が自殺したときに、なぜ自殺してはいけないのかたくさん考えた。前にブログで宗教的な答えは書いたけれど、世俗的な根拠は結局ないのだと思う。人を殺してはいけない根拠が究極的には存在しないように、自殺してはいけない根拠は究極的には存在しない。僕は、友達が死んだ時に、「だからこそ」止めなければいけない、と書いた。「自殺してはいけない理由」がないから「こそ」自殺志願者を止めなければならない。究極的には「自殺してもいい」のだから、僕が止めるというアクションがなければ、本当に死んでしまう。「自殺してもいい」から「こそ」僕は「自殺はダメ」と発信し続けなければならない。なぜ僕はそう発信し続けるのか?昨日からたくさん考えた。2つある。
 
 @現に「死にたいけれど生きている」僕が、「死にたくて死のうとしている人」を止めないのは「卑怯」に思える。一緒に死ななければ、それは卑怯だ。僕は、死にたいけれど生きている。人生は苦しいけれど生きるに値するということを、「態度」で示している。その「態度」への裏切りになる。自分への裏切りになる。「なんとか生き抜かねばならぬ」という態度というか、美学を僕は「自分」に課している。だから、「死にたい人は死ねばいい」と他人に放言するのは、自分の美学に反する。僕は死にたいけれど生きているから。
 ここで、「でも人それぞれじゃん」という声が聞こえる。それは違う。僕は現に今生きているという「自分の態度」への「忠誠」のために、他人の自殺を止めているだけで、他人の思想に関しては一切関与しない。僕の美学を突き通すため。エゴだ。エゴで結構。僕が止めたところで死ぬ人は死ぬ。けれど僕はそれを止める。自分の態度を裏切るのは「卑怯」だから。

 A僕は死=浄土を救済だと考えている節がある。「先に行かないでくれよ」という思いがある。正直に言うと、「羨ましい」という思いがある。先に「あっちの世界」へ行かないでほしい。僕にはそれができないから。羨ましいから。

 以上の理由で僕は他人が自殺をするのが物凄く嫌だ。自分が「卑怯」になりたくないというのと、「嫉妬」するというエゴで止めるんだけれど、どんな人でも自殺してほしくない。「自殺はOK」だから「こそ」僕は自殺はしないでほしいということを言っていこうと思う。

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