本気【マジ】
本気【マジ】になれない。自分が本当に善だと思うもの、本当に善だと思うものも移り変わってきたけれど、高1の時は受験勉強、引きこもり始めてからは西洋哲学、2年前からは瞑想、坐禅、半年前からは浄土教、これらの「マジ」に値すると思ったものは本気で取り組むことができるけれど、それ以外のものに手を付けてもすぐに飽きてしまう。自閉症だからなんだろうか…。本当の善のために日常生活も疎かになっている。
生と死の問題を解決して、それこそ人生に入門してしまったら、僕は何もすることがなくなって、空っぽになってしまうんじゃないか。哲学なんかは終わりがないからいいけれど、宗教は信心を得たら、一応求道は終わりだ。
障碍者支援のおばさんに「将来なんかやりたいことないの?ビジョンとかは?」と聞かれたので「したいことは何もないです。金がなくなったら死にます。信仰があるのでいいところに行けると思います」って答えた。信仰を得たあとになにをしようか。門をくぐった後は「マジ」になれるものが一切なくなった抜け殻のような人間になってしまうのかな。
表現欲求があるのは昔からずっと言ってるけれど、「結局死ぬんだから意味ない」「ただの自己満足」「虚しい」という思いが絶えず湧いてきて、何も手につかない。情熱がない。パッションがない。何かに本気で打ち込める人がうらやましい。昔は「しょうもない」という言葉をよく使っていたけれど、最近は「詰まらない」と思うようになった。何もかも詰まらない。夢の中(無常の世界)で「マジ」になっても、夢から覚めれば(死ねば)全部消える。詰まらない…。詰まらない。面白くない。詰まらん。
この現実が「夢」と全く同じ性質(無化される)を持っているということは僕にとって自明のことで、夢の中で夢を持つことができない(言葉遊び)
「これ」が夢だと分かっているのに、何かを達成しようとすることが、全部詰まらない…。
夢の中で「これは全部夢だ!目を覚ませ!」って叫び続けるのも無粋な気がする。一期の夢で狂っている人達。全部夢ということが分かった上で、それでも「虚しくない」ものを見つけること。
生と死の問題を解決して、それこそ人生に入門してしまったら、僕は何もすることがなくなって、空っぽになってしまうんじゃないか。哲学なんかは終わりがないからいいけれど、宗教は信心を得たら、一応求道は終わりだ。
障碍者支援のおばさんに「将来なんかやりたいことないの?ビジョンとかは?」と聞かれたので「したいことは何もないです。金がなくなったら死にます。信仰があるのでいいところに行けると思います」って答えた。信仰を得たあとになにをしようか。門をくぐった後は「マジ」になれるものが一切なくなった抜け殻のような人間になってしまうのかな。
表現欲求があるのは昔からずっと言ってるけれど、「結局死ぬんだから意味ない」「ただの自己満足」「虚しい」という思いが絶えず湧いてきて、何も手につかない。情熱がない。パッションがない。何かに本気で打ち込める人がうらやましい。昔は「しょうもない」という言葉をよく使っていたけれど、最近は「詰まらない」と思うようになった。何もかも詰まらない。夢の中(無常の世界)で「マジ」になっても、夢から覚めれば(死ねば)全部消える。詰まらない…。詰まらない。面白くない。詰まらん。
この現実が「夢」と全く同じ性質(無化される)を持っているということは僕にとって自明のことで、夢の中で夢を持つことができない(言葉遊び)
「これ」が夢だと分かっているのに、何かを達成しようとすることが、全部詰まらない…。
夢の中で「これは全部夢だ!目を覚ませ!」って叫び続けるのも無粋な気がする。一期の夢で狂っている人達。全部夢ということが分かった上で、それでも「虚しくない」ものを見つけること。
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