ぐうたら幸福論
僕はめっちゃぐうたらだ。めんどくさがり屋の極みで、最近は無気力すぎて毎日2時間ぐらい昼寝をしている。なんにもしたくない。楽して生きたい。
アリストテレスはニコマコス倫理学で「人間はまず何よりも幸福を求める」と言っている。僕もそう思う。僕の「幸福」に執着しすぎている姿を見て、友達に「幸福ってそんなに大事なものなの?」って聞かれたけれど、その友達も幸福を目指していないわけがなく、言うまでもなく幸福は大事だ。
みんな幸福になるために努力をする。僕は努力をしたくない。
楽して幸せになりたい。テーラワーダ仏教を勉強しているときに、本に「幸せになりたければいくらでもなればいいのに、なぜみんなそうしないんだろう」と書いてあった。「確かに」と思った。その本は瞑想の本で、瞑想をすれば金もかけずに禅定でどんどん幸福が味わえると書いてあった。何も無くても「心」があれば、その「心」を自分からどんどん喜ばせればいい。こりゃいいと思った。
で、瞑想を2年ぐらいやってるけれど、瞑想はいい。無料で幸せになる。穏やかになる。お金も地位も名誉も異性もいらない。目を瞑って呼吸に意識を集中させるだけで、幸福になる。
でも瞑想も億劫なときがある。最近は、寝転んで、阿弥陀仏を心で念じることが多くなった。まだ信心は得てないけれど、自分を無条件で愛してくれている存在のことを考えるだけで、胸やお腹のあたりが暖かくなって、幸福な気分になる。愛を感じる。これもお金も地位も名誉も異性もいらない。こういうのを「法悦」というらしい。
頑張らずに、慎ましく、幸福になりたい。無料で最高級の幸福感をゲットする方法があった。やったぜ。
アリストテレスはニコマコス倫理学で「人間はまず何よりも幸福を求める」と言っている。僕もそう思う。僕の「幸福」に執着しすぎている姿を見て、友達に「幸福ってそんなに大事なものなの?」って聞かれたけれど、その友達も幸福を目指していないわけがなく、言うまでもなく幸福は大事だ。
みんな幸福になるために努力をする。僕は努力をしたくない。
オー!ノーッおれの嫌いな言葉は一番が「努力」で二番目が「ガンバル」なんだぜーッ————ジョセフ・ジョースター
楽して幸せになりたい。テーラワーダ仏教を勉強しているときに、本に「幸せになりたければいくらでもなればいいのに、なぜみんなそうしないんだろう」と書いてあった。「確かに」と思った。その本は瞑想の本で、瞑想をすれば金もかけずに禅定でどんどん幸福が味わえると書いてあった。何も無くても「心」があれば、その「心」を自分からどんどん喜ばせればいい。こりゃいいと思った。
で、瞑想を2年ぐらいやってるけれど、瞑想はいい。無料で幸せになる。穏やかになる。お金も地位も名誉も異性もいらない。目を瞑って呼吸に意識を集中させるだけで、幸福になる。
でも瞑想も億劫なときがある。最近は、寝転んで、阿弥陀仏を心で念じることが多くなった。まだ信心は得てないけれど、自分を無条件で愛してくれている存在のことを考えるだけで、胸やお腹のあたりが暖かくなって、幸福な気分になる。愛を感じる。これもお金も地位も名誉も異性もいらない。こういうのを「法悦」というらしい。
頑張らずに、慎ましく、幸福になりたい。無料で最高級の幸福感をゲットする方法があった。やったぜ。
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